いつかの現在地

2019/8/30引越し

自分しか知らなければ、それは始めからないのと同じ

今、分岐点にいる。
いや、それはいつもそうなのだが、今は、この場所からでも見てとれるような、この生涯の方向を決定づける、そんな分岐点がやってきている。



右に行けば月並みなハッピーエンド。

人と同じように怒り、壊したり作ったりしながら自分の幸せを探していく。
誰かを何度も傷つけるが、それでも自分は生きていく権利がある。


左に行けば壊した世界。

縛りを破棄して、多くの悲しみを生み、多くの歪みを何十人もの人に与える。
多くの平穏を壊して得たその道なのに、先が見えない。


曲がらないままなら、不安定に安定を維持する刹那的日常。

いつでも終われる自分を隠しながら、普通を演じ、終わりを待ち続ける。


進むのを止めれば世界の終わり。

終わった世界の後にあるだろう世界で、多くの人が怒り悲しみ誤解する。







まだ歩みは止めていない。

が、日々の重さは増してきている。

そろそろ限界なんじゃないか。このまま続けていけるものじゃないんじゃないか。

いや、もうすでに壊れ始めているのではないのか。


人には見せていない。まだ、維持できている。境界は越えていない。

本当はもうへとへとだ。空なのに燃やし続けて罐の中はボロボロだ。
でも、足を止めてしまったら勝手な自分が独り歩きする。


自分がもう一人、あるいは偽の自分がいてくれたら、すぐにでも自分はここからいなくなれるのに。



言葉に出すと本当になってしまう…とまではいかなくとも、それがきっかけになってしまうことはいくつもある。

それが事実でも、口にすることはできない。



それを口に出していけない。

誰も知らなければみんなの日常は壊さずにいられる。それだけのことなのに、
つい言ってしまいそうになる。だからここに少し吐き出しておく。