家族
私の家族。
週休半日の365日間勤務で数年間働き続けているきっともうすでに半分壊れながら働き続けている自分の健康に無関心で真面目なのに優しさの方法に疎くて不器用ででも家族想いの父。
祖父がいた頃からずっと何年も何十年もこの家を支え続けてきたちょっと短気ででも我慢しすぎるくらいに我慢強くて人のことをしんに想うことができる我が家のかなめ母。
人員不足の変則勤務の中で睡眠時間を削ってでも子供たちのために美味しいご飯を作ることに妥協しない妹。彼氏とかそういう話がまったくなさすぎて心配。人のことは言えない。もしかしたら、家のこと考えてそうしてるのかもしれない。
私が気を遣わずにいられる、好き勝手にわがままを言える世界で唯一の存在、兄。来年結婚する。おめでとう。しっかり。
私からたくさんのものを奪って、でもきっと彼女から貰ったものもたくさんあって。好きとか嫌いとか、憎いとか狡いとか死ねとか死ぬとか殺すとかいろいろいろいろ、一言なんかじゃ言い表せないくらいにいろんな感情を抱いて留めて通り過ぎてきた、良くも悪くもこの人がいなかったら今の自分は絶対にここにはいない。
臆病で怖がりでお調子者で感情がまっすぐで裏表が下手で悔しかったら拗ねて悪気もあって憎しみも隠せなくて酷いことを言って家族や友達たくさんの人を傷付けてでも寂しくて泣き虫で強情で損得勘定もするけど他意なく狙いも意図もなく心の底から僕らを想い泣いたり笑ったりする、祖母。
私の家族はきっといびつだ。
自分の趣味も無く家族のために毎日ひたすら働き続ける父も、専業主婦という逃げ場のない狭い世界で理不尽に晒され心を潰し続けて諦めと怒りを蓄積してしまった母も、ほんの何かのきっかけで壊れてしまいそうな、そんな危うさがなんとなくある。
社会人になって5年間、毎週末片道2時間かけて実家に帰り続ける私も普通から見たならそこそこおかしい。
実家に帰って地元の友達と遊ぶとかじゃなく、ただひたすら家の中にいるだけ、畑の世話をするだけ。家族と一緒にご飯を食べて話して、また片道2時間かけて帰るだけ。
来年に控えた兄の結婚というイベントは、このいびつに維持されてきてしまった家族の形を良くも悪くも変える契機になるもしれないと、少しだけ期待している。
私の家族はきっといびつだ。
だから、この危うい頑張り屋さんたちの心の救いに、きっともう壊れることは避けられないかもしれないけれど、ならせめて一つでも一日でも一秒でも楽しい何かを笑っちゃうような時間を過ごしてもらおうと決めて。ずっと。
おかしいなんて、いまさらだ。
そんなのずっと、大学、高校のころからだ。過去の自分たちがたくさん悩んで考えてくれたおかげで、その部分にはもうコンプレックスは何にもない。
この生き方に劣等感はない。おかしいけど間違っているとは思わない。胸を張って言える。でも。だから
私は諦めたくない。
今の自分を、「自分のことを諦めた人間の投げ売りされた自己犠牲」にしたくない。
今まで本当にありがとう。僕たちのために、家族のために、頑張ってくれてありがとう。でも、いいんだよ。そろそろ自由にしても。もう少し好きにしたって。いいんだよって。
でも、それはきっと、私が自分を全力で謳歌してこそ伝えられることなんだろうって。
だから私は、私を諦めない。
でも、今までの自分をやめる気もない。
その行き先を見届けるまで、自分が納得できるまで、やめる気はない。
だから探していた。
これまでの自分を続けながら、私を諦めないでいられる何かを。
まだ探してる。これでいいって確証もない。
だけど、ひとつだけ見つけた。
私の大切を続けながら、私自身の好きを形にできる方法を。
だから、今はこれを、全力でやってみたい。
そしていつか見てもらう。私の好きを。
笑われてもいい。笑ってくれるならいい。
それがどんな色かたちであれきっと、本気の好きは相手に届く。