いつかの現在地

2019/8/30引越し

いつかの現在地

 
 


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学生時代、日記を書いていた。
 

中学、高校、大学と。約10年間。
 
学校に提出するわけではなく、誰に見せるでもなく。
勉強するよりずっと机に向かって、毎日、日記を書いていた。
 
 
本当は、ただの日記ではなかった。
 
 
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遺書だ。
 
これは、読み手に復讐するための遺書だ。
 
 
 
小学生の頃から家族の仲は悪かった。
 
喧嘩はしょっちゅう起きていたし、罵声が飛び交い、扉を叩きつける音は毎日聞こえてきた。祖母が怒鳴り、祖母が殴り、祖父が怒り返し、悪者は祖父になった。
 
正義の濫用と数の暴力。歪みのスパイラル。
 
自分自身も何度も理不尽に晒された。ドッチボール大会で優勝して帰ってきたときは「一日気楽に遊んでいられるのは誰のおかげが考えろ大馬鹿者が」と叱られて泣いた。
 
飛び交う罵声と悪口が怖かった。祖母の機嫌を伺い、不仲を恐れた。
 
 
中学のクラスが大好きだった。高校生になって手にした自由にはあまり興味がなかった。部活には入ったけど居心地は良くなかった。高校1年はあまり楽しくなかった。
 
家に帰れば祖母が怒鳴り、祖父が怒鳴り返し、母が巻き込まれ、父は無関心だった。
勉強に集中しなくてはいけない兄と、口数を減らす妹。
 
理想どおりに上手くいかない自分と、壊れそうな家族。
きっとかみ合ってしまったんだと思う。
 
僕は家族の緩衝材になることにした。
 

部活を辞めて、放課後はすぐに家に帰った。家族と一緒にお茶を飲み、愚痴を聞き、畑の手伝いをし、怒りをなだめ、争いの原因を探り続けた。でも罵声も争いもなくならなかった。大人たちは喧嘩を止めなかった。
 
部活、勉強、バイト、遊び、恋人。

周りから聞こえてくる高校生らしいフレーズに、憧れ、嫉妬し、劣等感と自己嫌悪を繰り返した。自分にはないもの。人とは違う。家の緩衝材?誰にも理解されない。
 
落ちていく成績。認めてもらえない苦悩。誰にも伝わらない努力。なのに求められる期待、高校生一般の話題。笑顔で聴いて、一人で泣いて、明るく返事をして。
 
限界だった。辛かった。どうして自分だけがと思った。自分がこんな思いをしているのに、大人たちは分かり合わない。譲り合わない。勝手にキレて、壊して壊されて。
 
 
死にたいとはときどき思っていた。消えたい、出ていきたいとは毎日思っていた。
 
でも、自分から死ぬ気はなかった。でも、ずっとそう思い続けられる自信もなかった。
でも、家族は大切だった。大切だからこんなにつらかった。
 
 
だから、残すことにした。日記に。

分かり合わない家族たちに、お前たちがしてきたことの結果がこれだと。
お前たちのせいで僕は苦しみ、死んだんだと。
 
だからこれは、いつか残された家族が目にするはずの、遺書だった。
 
遺書のはずだった。
 
 
 
遺書だったのは本当だ。でも、それだけじゃなかった。

この積み上げられた日記帳には、もう一つの想いが込められていた。
 
 
この世界、広い世界にたった一人だけいた。
自分のことを知っている人が。

この想い、この苦悩を分かってくれるかもしれない人がいた。
 
 

僕だ。未来の僕だ。
 

だから書き続けていた。
 
死ぬ気もないのに、消えてしまいたいと思って。
早く終わってしまえばいいのにと願いながら、自分で終わらせる気はなくて。
 
自分から死ぬ気はない
なのに遺書を書き続けていたのは、未来の僕なら分かってくれるかもしれない。
 
そんな希望があったからだ。
 
過ぎてしまった痛みや苦しみが、それを体験したはずの自分にさえ、全部は伝わらないことは経験上分かっていた。でも託した。残したかった。お前にだけは覚えていて欲しかった。
 
 
それから、僕はまだ生きている。
あれから7年が経って、まだ、こうして生きている。
 
 

すべてを乗り越えてきたわけじゃない。
簡単でもなかった。
 
抑えきれない怒りも悲しみも、ぬぐい切れない未練も後悔も、ぶり返す無気力も手放したはずの心残りも、やっぱりまだ残っている。
 
でも、僕は生きている。
 
 

大学生時代、生き続けるだけが全部で、すべてが面倒くさくて、とにかく一人になりたくて、何も知らなくて、何もほしくもなくて。
 
でも助けたくて、だから心理学部に入ってでもそれは原因や現象を説明するものであっても解決できるものなんかじゃなくて。
 
長期の休みはほとんど実家に帰って。実家に帰る時には部屋は綺麗に整頓して。残った命を使い切るつもりで。いつ終わってもいい、そんなつもりで。
 
そんな内向きな自分を変えたくて初めてチャレンジしたコンビニのアルバイトは、あまりに使い物にならなくて、たった一日でクビになった。
 
車の免許を取るのが死ぬほど嫌だった。誰かを傷付けてしまうかもしれないことが嫌だった。いつでも事故に見せかけて死ぬことができてしまうことが怖かった。
 

社会人になって。
 
やっぱり欲しいものはなくて、やりたいこともなくて。社会や世界に興味もなくて。
周りの話についていけなくて、ただなんとなく合わせて笑っていて。
学生時代と同じ自問自答。人とは違う。周りとは違う。やっぱり僕は、僕は?
 
それでもいいや、って。
 
人と同じじゃなくていい。違ったままでいいやって。
なら、人とは違う、こんな自分だからできることをしていこう、って。
死ぬまでの間。せめて、自分の周りの人一人でも多くの人に一つでも多く楽しいって思ってもらおうと思って。
 

サークルにも属さず、バイトの経験もなく、敬語の使い方も知らなければ、飲み会の予約の仕方さえ分からない。頭も良くないし、知識もない。
そんなことも知らないの?こんなことも出来ないの?って言われるし、自分でも思う。
 
でもそれ仕方ないやって。
 
そんなことも知らないし、こんなこともできない。
これまで今まで人よりやってこなかった分、出来ないのは仕方がない。出遅れてるのはしょうがない。
なら、自分は自分のレベルで、ひとつずつ出来ることを増やしていこうって。
 

そうやって、
過去の自分たちに支えられ、いろんなものに力をもらい、自分に関わってくれた人、もの、音、景色、全部のために、少しでも価値ある自分になろうと思って。
 
そうやって、一歩一歩。
きっと人から見たら、そんなこと?って言われるようなことを、ひとつずつ。
 
ひとつずつ。
そうやって、辿り着いたのが今で。
 
 
今だって、いつでも少しでも、出来るようになろうと思って全力で頑張っているけど。
 
もらったマニュアルは何回読んでも覚えられないし、真剣に聞いてるのに理解できないし、電話の相手の所属と名前は聞き取れないし、会議の資料は間違えるし、人前でしゃべるとなるとカチコチに緊張するし、人に話しかけるだけで緊張するし、いつまで経っても車庫入れは下手くそだし、相変わらず飲み会は苦手だし、いつも必死で余裕がなくて。
 
頑張ってはいるけど、なかなか上手くいかなくて。
 
 
理解力も、記憶力も、視野の広さとか。
能力の限界を感じたり、自分の天井が見えてしまったり。
 

何より、割り切ったつもりでも、乗り越えたつもりでも、自分の根底にある「死ぬまでの間」という未来への諦めと、「自分は人とは違う」という過去の呪縛が、どうしても足を引っ張ってしまう。
 
仕事や日常の人間関係は、一生懸命頑張って追いすがることができても、
本心では興味がないから、聞いているふりや頑張っているふりで終わってしまって、深いところまではたどり着けない。
何かを好きになることはあっても、誰かを巻き込む覚悟は決められない。
 
 
 
人と違ってしまった自分にできること。
 
「一人でも多く、一つでも多くの楽しいをまき散らして終わりたい。」
 
 
それは、前向きで後向きな原動力だ。
 
いつ終わるか分からない、まだ終わるかも分からない花火をいまも毎日打ち上げ続けている。
 
 

足を引っ張り続ける過去の呪縛。

うすうす気付いてはいた。あの時と同じだ。
 
9年前、このブログを始めたきっかけ。
遺書を書き続けることに疲弊して助けを求めた「ターニングポイント」
 
 
このまま終わりを待ち続けるか、それとも生き始めるか。
 

今度こそ、選ばなくちゃいけないときが来ているのかもしれない。
 
家族での僕の役割はだいたい終わった。
そしてそう遠くないうちに、きっと一つの終わりを迎える。
 
そしたらもう、諦念のピエロでいる必要はない。
 
 
別に捨てるわけじゃない。なかったことにするわけじゃない。
 
でも、続けなくていいのかもしれない。
もう、手放していいのかもしれない。
 
まだ、自分は欲しくないままなのか。
それとも、過去の自分から受け継いだものを無理に続けようとしているだけなのか。
 
 
分からない。
分からない?
 
 
過去の呪縛、未来への諦め。
 
本当にそうなんだろうか。
まだ、もう少しだけ、自分のことを信じてあげてもいいんじゃないだろうか。
 
過去の呪縛とやらに足を引っ張られたまま。
未来への諦めすら握りしめて、全部背負って飛び立っていける。そんな方法が、まだ。
 
 
失敗、限界、あきらめ、捨てたもの、もう戻らないもの。
後悔、嫉妬、不安、劣等感。
 
完璧じゃない天才じゃない
慣れない出来ない自信もない限界まみれのこの自分に。
 
この自分にも。
この自分にだからこそ。
この自分にだけたどり着ける場所が。そんな場所を。
 
 
 
 
よりよく生きる。好きを形に。今まで全部に応えるために。
 
 
目指して、立ち止まって、引き返して、また歩きはじめ続ける。
 
あのときも、今も、これからも。
 
 
 

「いつかの現在地」