いつかの現在地

2019/8/30引越し

日記4



11月29日

妹が学校で靴隠しの犯人にされた。


ご飯の時もお茶を飲む時もみなそろって顔を合わせる。話すタイミングなら十分にあったはずだ。
なのに、なぜ、妹はそれを僕だけに相談したんだ?

あんたらが自分の苦労を売り込むことでいっぱいいっぱいだからだよ。
自分自分自分で、話をしっかり聞く余裕なんてないじゃないか。そこに新しい問題を入れるスペースなんてないじゃないか。だからだよ!大人がみな自分の勝手なことを家じゅうで垂れ流しにしていたら、子どもは誰に頼ればいいんだよ。大人は自分の不満を勝手気ままにぶちまけて、子どもはひたすら緩衝材か。あほたれ。大人は嘘でもどっしり構えていなくちゃいけないんだ。

料理はできないし、会社で働いてお金を稼ぐこともできないし、家計簿はつけられないし、社会で必要な手続きや事務処理もできない。こんな生活スキルも社会スキルもない無能な僕が、僕だけしか、頼ることができないこの状況。情けなくないのか?
この家に自分の怒りや不満を受け入れる余裕はない。僕ががんばらなくちゃいけない。怒らない。苦労も愚痴も怒りもイライラも聞き入れる。対立させない。受け止める。壊させない。




12月17日


ばかばかばかばか。ばかじゃねえの。うるせぇな。本当にうるせぇ。

もう大学とかどこでもいいからさっさと出て行きてえ。なんでこんなとこにおらなきゃといかんのよ。ばーか。いちいちうるせぇな。最近の若者があーだこーだって、お前の方がよっぽど低次元低レベルじゃねーか。
常識的におかしいだの、普通じゃないだの。うるせえんだよ。こういうことも大事なことなんだよ、だぁ?事件の善悪なんてどっちでもいいんだよ。ばか。これまでのことを考えてみれば普通じゃないって分かるだろうが。それを何十分もぐちぐちぐちぐち。こんなところで飯が食えるかよ。
こんなんで誕生日だとか言って祝ってもらっても全然うれしくない。




12月21日


ここに生きている誰もが、みんな、苦しんだりつらい思いをしている。

仕事に押しつぶされそうな人も、認知症の親の介護で疲れ果てている人もいるだろうし、テストでいい点がとれないとか、失恋したとか。それぞれの苦労している状況を持っているに違いない。だから他人と苦労を比べるのはおかしいだろう。戦時中の人たちはそりゃあ苦労しただろうが、だからといって今の人たちが楽に生きているわけじゃない。今に生きている人たちだって同じように苦労しているさ。戦時中にあった苦労はよく語られるが、今の時代だって、今の時代だからある問題も苦労も苦しさもちゃんとある。だから、戦時中の人たちは偉くて、今の僕らは楽してるなんて思わない。戦争がなくても悲しみも苦しみもあるさ。


僕のこの中途半端な苦しみはなんだ。言葉で説明するのは面倒、難しい。言いようはいくらでもある。
お前は結局ちゃんと努力していないじゃないか。それで苦労を語るな。勝手に被害者ぶっているだけ、甘えているだけじゃないか。って批判するのはとても簡単。だいたい、僕の苦労をみんなに分かるように説明できる言葉がない。
 
一体何がそんなに嫌なんだ?辛いんだ?って問われても、自分でも驚くほどうまく答えられない。なんだ、じゃあやっぱり大したことないんじゃん。そう。そうなんだよな。僕は大したこともないことで苦しいとか言っちゃうダメ人間なんだ。でもその結果もちゃんと受け入れられず、やっぱりどこかに理解を求め続けている。

仮に僕がなかなか大変な生き方をしていたと、自分で肯定できたとしても、どうせ後になって、祖母や祖父が死んで僕が年をとったら、やっぱりありがたかったとか思い出すんだろうな。


いつから受験勉強を始めるんだ?ちゃんとやらんと受からんぞ。


あぁ分かってる。安心しなよ。僕はこの家から出たくてたまらない。もう嫌なんだ。家族が嫌い。面倒くさい。さっさと一人で暮らしたい。ムカつくことばっかりだし。でも家族は大切。突き放しても助けに行っちゃうだろうし、家族に冷たい自分を強く自分で責めるだろう。だからもういちいち自分の中で嫌いか好きか大切だ、って家族の位置づけの矛盾に対する葛藤もうんざりだ。毎日の下らない言いがかり文句を黙って聞いていなきゃいけないということもうんざり。あぁもう泣きたい。