いつかの現在地

2019/8/30引越し

てんびん


朝起きると息が白い。いよいよ冬が近づいてきたことを感じる。

そんな気温の低下にともなってか、祖父の行動の異常さがここ数日間で急激に悪化している。
今自分は実家にいないのでそれを目撃しているわけではないが、母から逐一報告のメールが届く。


寝る前に替えたのに、夜中3時に二階までよじ登ってきてはおむつを替えろと大声でわめく。
人がいないのを見計らって台所へ出てきては、なんでもかんでも食べあさる。
今日の朝に至っては、気付いたら布団はもぬけの殻で朝5時から父と母が近所を捜索し、近くの飲み屋の駐車場に凍えて座っているところを発見された。もう少しで命に関わるところだ。

いよいよ、ケアマネージャーさんに精神科で診てもらってきた方がいいと言われたようで、明日あたり診察してもらいに行ってくるようだ。



さて。

祖父はがりがりのやせ体型で、寒さに弱いのは確かだ。去年の冬も、低体温で意識昏迷になり救急車で運ばれ2カ月余り入院した。最初の3、4日はICUにいたほど。いうなれば生死の危機という状態だった。

しかしその後、ケアマネージャーさんたちを始め様々なスタッフを驚かせる勢いで回復し、夏には壁につかまりながら歩けるようになり、問題なく喋れるし食べられる、週4回のデイサービスでは得意のハーモニカを吹いたりして、入院する前と変わらないくらいまでになった。
意識も弱くベッドの上では痰をこぼし車椅子を押してもらって移動する…そんな春先の状態がうそのようであった。

そして、再び来た冬。
今年は夏のうちからケアマネージャーさんにもお願いして、12月から3か月ほどの間、長期で世話を見てもらえることになっていた。

祖父が冬に弱いのは確か。

だが、それだけじゃない。

それを感じているのは家族の中で自分だけかもしれない。本人たちに言ってもそれは通じないし、返って状況を悪くしかねない。でも吐き出さずにはいられない。だからここに残しておく。


祖父の状態が悪くなったのは、8割、祖母始め家族の対応のせいだ。

祖父は、忘れる。間違える。失敗する。聞き逃す。
それを大声でしかりつけ怒鳴りつけ、時に叩き突きとばす。

そんな祖母の対応。

「自分で考えないとだめだ。」「なんでもっと頑張ろうと言う気にならないのか。」
祖母の言っているその内容は、『しっかりした人間になる理想像』としては90点かもしれない。
一般的には『正論』『当たり前のこと』かもしれない。

だが、ちょっと認知症の本を読めば分かる通り、それは認知症の人に対する反応としては、最悪最低、0点どころかマイナスレベルの対応だ。

祖父の行動、感情、発する言葉。すべてに対して祖母は言いがかりをつけて怒鳴る。叱る。殴る。


祖母は、僕が21年間生きてきて出会い見聞きしてきた中で、ウザい人間ランキングぶっちぎりでナンバーワンである。
あれほどまでに常時、嫌み罵声ののしりを浴びせられ続けて平気でいられる人間などいるわけがない。もしいたとしたらそれはもう壊れている。普通一般には生きられない。

祖父が何か言ったらそれが悪い。何かを食べたらそれも悪い。ただ歩いているだけで祖父が悪い。箸が転んでも雨が降っても全部祖父が悪い。祖父が幸せそうなら壊し踏みにじり叩き潰す。
例えるなら、カメムシを自分でつつきまくっておいて、臭いにおいを出したら、「てめぇくさいんだよこのクソ野郎死ねゴミくずカス!」と、そして「見て見て私こんな酷い目にあった、ああ私はなんて可哀そうなの」と悲劇のヒロイン気取り。それが祖母。
祖母は本当にそうなのだ。

祖母は、アリとキリギリスの「アリ」になった気分なのかもしれない。結婚後50年間さんざん私に苦労させてきて、今さらこの男が幸せな目にあうなんて許せない!全部ぶっこわしてやる。そんな気持ちなのかもしれない。

少なくとも、そこには強烈な恨みがあり、僕らがみてきたのは執拗なまでの祖父いじめ。正論ごっこ

さて、そんな中で育ってきた子どもが正常に健やかにのびやかに生きられるか?っていうのは長くなるのでまた別の機会に。


そんな正論を利用した理不尽な弱い者いじめ。老人虐待。

正直に言って、何度祖母を殴り倒してしまおうかと考えたか数えきれない。このクソばばあはもう殺してしまおうと考えたことも数十回なんてものじゃない。
ベッドで起き上がれず、飲み込む力が弱まっていた祖父の口に、さっさと飲み込めよ馬鹿!と薬を強引につっこみ、祖父が咳き込み窒息しそうなほど水を流し込んだときは、本当に殴り倒す寸前だった。今思えば、ぶっとばして、あのまま殺してしまってていてもそれはそれで良かったと思う。
こんなこと挙げていたらキリがないほど、祖母の祖父に対する理不尽でむちゃくちゃなクソやろうっぷりはずっと、ずっと続いてきた。今も。

『もしもいじめっ子が「社会的に守られる立場」「ボロボロの頑張り屋で満身創痍」な人間だったら?』
そんな問いかけを現実にしたのが、この祖母である。祖母は外向きには、頑張り屋で頭もまわる明るく元気なおばあさんなのだ。


そんな祖母の理不尽を見ていながらどうにもできない無力感、苛立ち怒り哀しみ悔しさ、愚かな大人たちへの復讐心、が全部ないまぜになって、自分自身もう死んでしまおうと思ったことも数えきれない。

家族の対応、祖母の仕打ちが、祖父にとって良いものではないことは分かっている。
祖父の間違い、失敗、聞き逃しに対する対応も、どうするのが適切なのか分かっている。
幼いころから過酷な人生を歩んできた祖母の考え方を変えることなんてできないのも分かってる。
そんな祖母のご機嫌取りと祖父の世話とで、母がストレスを溜めているのも分かってる。
週休半日で頑張っている父も、祖母を嫌う妹の気持ちも。どれも分かる伝わってくる。


さあ
僕に何ができた?
誰が悪い?


それは怒っても良くならないし、そういう対応はむしろおじいちゃを悪化させちゃうよと、なるべく柔らかく言ってみた。
わたしだって我慢できない辛いんだと、逆切れされた。

言っても通じない。変えることも出来ない。二人を引き離すこともできない。殺すことも出来ない。


できるのは、やつあたりのもとになっている老いの寂しさを、祖母のそばにいて話を聞いてやわらげること。
みなに虐げられ無視される祖父に対して、自分だけは怒らないし話を聞いてあげること。無論、それを祖母がみていると機嫌を激しく損ねるのでばれないように。
「あの自分勝手なくそばばあもう知らん」という
母の愚痴や苦労を聞いてあげること。

ここまで大学4年間、長期の休みは可能な限り実家に帰り、そうしてきた。
事実、自分で言うのも何だが、自分に対する
家族からの信頼は厚い。

てか4年間とおして大学生が長期休みまるまる実家に帰ってきて、家庭の緩衝材やってることに何か感じろよこのおとなたちはよぉ…と思ったりすること山の如し(意味不明)だが、それもやっぱり話が長くなるので別の機会に。


いかん、話が脱線しかかっている。
こんな時こそ、閑話休題



祖父の状態の悪化、その原因の全部とは言わないが、祖母始め家族の祖父に対する扱いや対応が大きな原因であるということ。おそらくあのケアマネージャーさんも思っているだろう。

上に述べたように、一応、これまでに何度か、そういう対応は良くないむしろ悪化させるという旨のことを祖母にも母にも言ってきた。それとなーく、二階の本棚に分かりやすい認知症についての本を置き忘れてきたりもした。

でも、彼女らは変わらなかった。

結果、今祖父は急速に壊れ始めている。


そして、そうなることを、分かっていた人間がここに一人。

なぜ、止めなかった。なぜ、防ごうとしなかった。
そんな気持ちが、祖父のあの無垢な笑顔を思い出して、胸をしめつける。

できることはやってきた。自己擁護か。
祖母の意識をどうにか変えることが出来なかったのか。6年間トライした。無理だった。
二人を引き離すことはできなかったのか。祖母はあの家を最高の自分の成果だと思っている。祖母を施設に入れるなんて不可能。
…本当にどうにか出来なかったのか。自分よりもずっと経験豊富でよく分かっていたあのケアマネさんがどうにもできずにいる問題を、自分ごときがどうにかできるはずもなかった。


祖母を殺して祖父を救うか。
現状維持して祖父を見殺しにするか。

僕は、後者をえらんだ。
行動しないをえらんだ。
結果、祖父は壊れた。


祖父がバカになっちゃってもう大変でしょうがないんだと、電話口で祖母が愚痴る。そうなったのはお前のせいだこのくそやろうがと怒鳴りつけたくなる。でも言わない。

だれの幸せか? 守りたかったのはどっちの笑顔だ?



この状況を、「僕」から離れて自分で客観的に見たならば、

「僕」は全然悪くない。できることはしていたし、いち大学生として十分すぎるほどに頑張っていたじゃないか、と。別にお前が責任を感じる必要はないよ、と励ますだろう。悪いのは祖母だろ、余裕がなかった大人たちだろ、とも言うだろう。

本当にそう思う。ここまで家族のため年寄りのために自分の時間を潰して頑張る大学生がどれだけいるよ?と思う。
でもそれは、どう客観的にと言っても、同じ人間が言っている時点で同じ声にしか聞こえない。だからだれかが。だれかに。



誰にとってのさいわいか。
その視点で、最善がひっくり返る。

「誰」に、自分はふくまれているか。
自分をないがしろにしても、周りは求める。

本当に哀れなのは自分なんじゃないのか?
そしてそれを言うべきは自分じゃない。

もし、みなが哀れならば…一体誰が救ってくれるのだろう。





守りたかったのはどっちの笑顔か。残したかったのは誰の幸せか。

天秤は傾く。
一方が上がれば一方は下がる。
天秤を地べたに置こうが、空に置こうが、必ずどちらかが下がり、どちらかが上がる。

哀れなのは誰だろう。
下がった方か、上がった方か。見ている方か。


その答えには、さして興味も救いもない