いつかの現在地

2019/8/30引越し




今、さっき、父のことを「あんなやつ家族のことを考えてない」と言った祖母に対して、私は怒った。

多分、何年かぶりに


週に半日だけの休みで、酒を飲むわけでもなく、パチンコに行くわけでもなく、ゴルフも釣りも、なにもせず、できず、私が帰ってくる日曜に併せて休みをとって、買い物に、畑仕事に。

そんな父に対して、あんなものよばわり。カチンときた。





息子が父のことを悪く言われてキレた。

ただそれだけのことなのに。




祖母はきっと理解できない。

「だれも私の気持ちを理解してくれない。」「私の苦労を分かってくれる人は誰もいない。」「お前らみんな薄情ものだ。」

きっと、祖母はそう言って、論点をずらし、曲解する。 
今はベットで一人スンスンと音を鳴らしながら泣いている。

今頃きっと、かなしいかなしいと、誰も私をわかってくれないと、悲劇の渦中にいるはずだ。



ああ、存分に悲しめ。泣け。お前が、今までどれだけの人を傷つけてきたか。悲しませてきたか。
今まだ、人の形をし、考え、生きているなら、心揺らして悩んで苦しんで考えろ。

事実を捻じ曲げ、やつあたりをし、シンデレラ気分で。どれだけのひとを苦しめて来たか。





違う。そうじゃない。


この後、夕食に現れた祖母は、きっと、「わしはもう施設に入る」「こんな冷たい家族しかいない家にいてもつまらない」「どこででも死ねばいいんだ」などと、涙ながらに訴え、また話がこじれる。ストレスはマッハ。


分かっていたはず。俺が一番。もう何回、何十回、繰り返してきたか。

自分はもう今日、これから帰る。残された母と父が、妹が、その勘違いと曲解の被害を受けるのだ。



なにやってんだ。俺は。

それはきっと伝わらないと、私が一番分かっていたはずなのに。


いつものように、適当に聞き流して、あとで父にフォローを入れればよかっただけだ。


そうすれば、いつものように祖母は機嫌よく夕飯を済ませ、またいつものように翌日を迎えるだけだったはずなのに。

父と母がこらえて我慢して耐えてきたそれを、正義ずらして壊して、明日からはまた仕事、後はよろしくさようならか。


ばかか。
くそ、くそ。くそ。




いずれそうなっていた?もう限界だった?誰が壊すか、それだけの話だった?

そうかもしれない。でももっといいやり方があったかもしれない。



何のために、毎週帰ってきてるんだ。
何をやっているんだ。


どうみても老人性うつだ。普通じゃない。
それだけじゃない。世間知らずのお嬢様、パーソナリティの異常。幼いころの不幸。苦労。承認不足。

それゆえか否か、我が儘。孤独。八つ当たり。暴力。

彼女はただ、ひたすらに正直なだけ。人間そのもの。

悔しければ僻み、嫉妬し、寂しいから人に当たり、褒められればうれしい。
彼女の言動行動一つ一つが、ひどく醜く見えるのは、それが誰もが持っているものだからだ。

皆が、自分が耐えて堪えて飲み込むそれを、彼女は隠さず隠せず外へ出す。そんな姿に苛立つのは、その心の動きを、自分も持っているものだからだ。

彼女は悪人ではない。ただ馬鹿なだけだ。

分かっている。


だから、ぶつけてみたかった。久しぶりに。
少しくらい、へこむべきだと思った。

作られた優しい嘘の中で、一人幸せに死ぬなんて、都合がよすぎるだろうと。
今まで全部の痛みとつりあわなくても、せめて少しくらい悲しめと。



愚かだ。分かっていて投げた。

もう、数日は収拾がつかない。でも自分はここに留まれない。

愚かで、無責任だ。


いっそ、俺を刺してくれればいい。




どうする。俺はこのあとどうする。

だれに幸せになってほしい。そのために必要な言葉はなんだ。

さがせ。どうせ見つからない。


伝わらないと知っていたから、投げなかったのだ。

さがせ。本心はいらない。嘘でもいい。さがせ。

作り物でもいい。一応平和な明日を迎えるために。まだ間に合うなら。


一番、気持ちよく、響き届くことばを。さがせ。まだ間に合うなら。