いつかの現在地

2019/8/30引越し

無題

 

 

 
 
明日の午後、祖母の手術が行われる。
 
 
全身麻酔を伴った、2~3時間の手術。
 
その病院で週に1,2回は行われる割とメジャーな手術で、上手くいけば元通り、とはいかないまでも、リハビリをすれば歩行器を使って歩ける程度には回復するらしい。
 
その逆、80歳と高齢ということもあり、出血具合によっては、障害が残ったり、心臓が止まったり、戻らなかったりすることもあるとのことだ。 病院の日常。僕たちの非日常。
 
 
 
祖母は、私という人間にとって多大な影響を与えてきた。
 
私にとって、祖母は特別な人だ。 良くも、悪くも。
 
 
祖母は、理不尽な正論と思い込みで、たくさんの人を幾度となく傷つけてきた。
それは決して忘れない。忘れられない。
 
その中で苦しむ家族を見て、真剣に死ねばいいのにと思った。
この人早く死ねばいいのにと、それが本人のためだと、周りのためだと、冷めた頭で、そう思っていたこともあった。
 
殺してしまおうかとも思った。死んでもいいやとも思った。
欲しいものもやりたいこともなくなって、恨みとか、諦めとか、憐れみとか、いろんな感情を通り過ぎてきた。
 
 
 
祖母がいなかったら、今、自分はここにいない。良くも悪くも。
 
 
溜まり綴った日記帳も必要なかった。
 
 
迷いも葛藤も、落胆も脱線も、通り過ぎて。振り切って、振り切りきれなくて。
 
 
でも、なんだかんだ言って、今、自分はこうしてここにいる。
 
人から見てどうかはわからないけど、
多分、数年前の自分が、このブログを書き始めたころの自分が、まるで想像もしてないくらいに、自分で自分にびっくりするほど、意外とちゃんと、こうしてここにいる。
 
そんな自分は、この祖母なしではありえない。良くも、悪くも。
 
 
憎んで、恨んで、憐れんで、慈しんで。数えきれないくらいの感情を通り過ぎて。
 
僕が、今までで一番、近くにいた人かもしれない。
僕が一番、理解しようとした人かもしれない。理解している人かもしれない。
 
 
欲しい言葉、して欲しいこと、
その言葉の真偽、裏に隠された意味。 分かる。伝わる。
 
憎しみと、諦めと、憐れみを隠した、添加物だらけの優しい嘘を、与えて、与えて。
 
 
 
返ってくるのは、いつだってまっすぐな想い。
 
いまだってケアテイカー。でも、それだけじゃない何か。嘘だけじゃない何か。
 
 
ある意味皮肉だ。祖父がいなくなって、角がとれて、可愛いおばあさん。全く皮肉だ。
 
 
忘れない。祖父へのあの酷い仕打ちを。虐げられていた毎日を。
でも、それだけじゃない何か。割り切れない何か。白でも、黒でもない。
 
 
 
 
 
もうすぐ2年、毎週末、帰って話をした。肩をもんだ。一緒に食べて、テレビを見た。
身体に触れて、笑顔を見せた。
 
 
何の後悔もない、なんてことはない。
 
でも、できることはしてきた、つもり。
それが多分、少しくらいは伝わっている、つもり。
 
 
だから、どんな結果になっても、後悔はしても、絶望はしない。
失ったり、変わったり、その時私は多分揺れるけど、きっと崩れはしない。
 
もしかしたら泣く。でもきっと笑える。
 
 
 
 
 
私は、占いとかお祈りとか、全く信じない。興味もない。
そんなの何の因果もない。くっだらない。しょうもない。
 
 
明日、私がいつも以上に仕事に真剣に打ちこもうが、サボってテレビ見てようが、そんなのこれっぽっちも、手術の結果に影響しない。
 
なのに、多分私は、明日はいつも以上に真剣に仕事に打ちこむ。いいことだけど。でも関係ないけど。
 
 
 
日曜日の夜、別れ際、祖母は、いつもと同じように
 
「また来てな、無理しんように」
 
そう言った。いつも通りだった。
 
 
すぐ泣くくせに。今まで散々、死ぬ死ぬ詐欺してきたくせに。
 
 
 
 
 
私は、占いもお祈りも信じない。
ジンクス?ゲン担ぎ?神頼み?意味ない。下らない。
 
 
 
頑張れ。
 
私も頑張る。明日、これからも。