いつかの現在地

2019/8/30引越し

祖父の一周忌

 
 
 
祖父の一周忌があった。
 
 
 
今日集まったみんなは、どれだけのことを知っているんだろう。覚えているんだろう。
 
最後の、安らかで幸せな最期だけしか、覚えていないのかもしれない。
思い出そうとしていないだけかもしれない。
 
 
山が好きで、ハーモニカが趣味で、火曜の歌番組を見ていたおじいちゃ。
確かに言葉は少なかった。煙草も吸ったし、酒も飲んだ。他人への思いやりもちょっと欠けてたかもしれない。
 
それら誰にでもある「何か」を殊更に吊し上げ、正論で縛り上げ、数で踏みにじり、孤独へと追いやったのは、誰だろう。誰たちだったのだろう。
 
 
歌やハーモニカを「何の役にも立たない、下らない」と貶した。
ことあるごとに「臭い、とろい、馬鹿、くそじじい」そう言って罵声を浴びせた。
認知症が進み、それでも勤勉に毎日取り組んでいた算数ドリルを取り上げた。
 
 
彼から、趣味を取り上げ、仲間外れにし、正論で迫害し、
彼を、ストレスの捌け口とし、臭い、とろい、死ぬと、死ねと―。
 
理不尽な孤独。居場所のなさ。奪われた安息。故の酒、たばこ。
浴びせられる罵声。取り上げられた算数ドリル。失われた視力。進行する認知症
 
 
 
ゆっくりと、冷静に思い出していくと、とても強烈な怒りや憎らしさが湧き上がってくる。
 
おじいちゃの疎外感も、行き場のなさも、認知症になったのも、一つ一つ全部が恐ろしいほどにつながっていて、必然としか思えない。そう感じてしまう。
 
自分だったらどうだろう。想像するまでもない。正気ではいられない。
 
 
それだけの仕打ちをしてなお、それに気付かず、きっと一生気付かず、「おじいは幸せ者だった」と言い放ち、自身涙を流す、彼女に対して
 
私が感じるのは、深い怒りと、憐れみと、諦めと、…後は何だろう。
 
 
 
 
誰を責めようとは思わない。ただ、
 
誰もが忘れて、作られた記憶で、幸せだったと言われてしまうなら
それは、悔しくて。やるせなくて。
 
 
こんなことが、この日本中のどこかで特に珍しくもなく起きていることで、特別に取り上げられるほどのものでさえない、という当たり前のことが、また一層にやるせなくて。
 
 
 
次の別れもまた、きっと、そう遠くないうちに来るんだろうと、そう思う。
それはズルい先回りかもしれないけど。毎週末の夜の2、3時間。近くにいて、声を聞いていて。そう感じる。
 
その時、自分は涙するのだろうか。
分からない。
 
 
 
 
 
 
あの日から一年経って、それでもまだこうして自分は生きている。
 
 
だからというわけではないけど、結構前から、いつも、ときどき思っていることがある。
 
そしてそれは多分、これから先もずっと、自分が思っていくであろうことがある。
 
 
 
 
自分が死んだ時。
 
 
後悔が何もない、はずはないと思う。
 
楽しみにしていることも、やりかけていることも、ある。
そりゃある。
 
悲しむなとは言わない。
泣かないでとも言えない。
 
そんなのは多分、本人がどうこう言うことじゃない。
誤解だって全部はなくせない。
 
でも、これだけは、伝えたい。
 
 
とても満足している。
 
 
 
私が死んだとき。
このパソコンがYahooにログインしたままなら、このブログの存在に気づくことがあるかもしれない。一生知らずにいるかもしれない。
 
でももし、うっかりこの記事まで辿りついてしまったのなら、これだけは知ってほしい。確信していい。
 
 
とても満足してる。
生まれてきて良かった。そう感じている。
 
 
どんだけ唐突に、無残に、哀れに、素っ頓狂なことで死んだとしても。
 
勝手に、無念を思わないで。
他から見て、とてもそうは見えなかったとしても。
 
 
いつも、どの時点でも。
楽しい方を。自分が望む方を。
 
私は、いつもそんな風に生きてる。
 
 
だから、大丈夫。