いつかの現在地

2019/8/30引越し

続・遠況報告


5月に決めて残したマイ目標

「できる時に、できることを、できる範囲でやる」

をどの程度実行することができたか、11月3日の自分が約半年間を振り返って自己採点。




…80点。

うん、まぁ80点くらい。

なんやかんやで試験に合格し、内定を貰うことができたという結果はやっぱりとても大きい。
実際には、勉強も勉強時間も圧倒的、絶望的に足りてなくて、一次試験を通ったのは、運。うん、マジで運としかいいようがない。
大学試験の時も、手ごたえを遥かに超えるセンターの得点、赤本やってない、時計持ってきてない、そもそも小論文の練習皆無、科目の得点比率調べてない…と、だいぶやる気のないやけくそ気味というかアレな感じで入ったけど。今回のはそれを軽く凌ぐ。

まず自分は絶対、全然天才じゃない。4回も5回も繰り返してようやく覚えて、なのに1ヶ月で余裕で忘れてしまうようなふっつーの凡人。それなりに時間をとって、勉強して、それなりの進学校に入れるくらいの、そういうレベル。勉強するほどに片っぱしから忘れていく記憶と、ミスだらけの計算と、1時間かけてようやく1ページが理解できる自分の脳に直面するわけで、そんなことは自分が自分でようく分かってる。
だからこそ、言える。あれは運。マジで運がよかっただけ。


時間は圧倒的に足りなかった。
毎日のように祖母が引き起こす問題の対応に当たる。度重なる祖父へのいじめ。罵声、暴力。二転三転する言動。そんな祖母を疎み、自然と距離をおく家族。夕食後も1階と2階との隔絶。祖母の寂しさスパイラルは、結局祖父にぶつけられる。それを防ぐべく、起きてから寝るまで1階で過ごす日々。開け放たれたすぐ隣の部屋で、死ぬだの死ねだの騒いで、呼ばれて逐一対処に当たり、相槌をうち、愚痴を聞き、そんなことをしながら集中力を切らさず、質の良い勉強をできるはずもない。
何度も何度も騒ぎを起こして、結局1ヶ月間入院した。かかりつけのお医者さんにも、近所の人たちにも迷惑をかけた。

祖母が入院すれば少しは集中して勉強する時間がとれるだろうと思いきや、祖父の介護と不良婆さんの板挟みからのストレスで、母は甲状腺炎に。さらに一日でもお見舞いを欠けば、祖母から「もう窓から飛び降りて死んでやる」等の電話が来たり。お見舞いに行けば行ったで、9割創作の愚痴や、病院スタッフの悪口。「ただ寝かされておっただけで、何もしてくれなんだ!」は、退院後の祖母の談。嘘です。毎日しっかりリハビリしておくすりも貰ってました。祖父が一度だけ見舞いに行った時には、帰れこの馬鹿野郎と怒鳴り散らし、看護婦さんもおろおろ。あれほどの不良婆さんも珍しいだろう。

退院してきた祖母は、さっそく祖父いじめを再開。その裏には、「私がこうなったのはおじいのせいだ」という妄想と言っても過言ではない祖父への強烈な憎しみ。祖母が入院している間、認知症の症状も非常に落ち着いていた祖父であったが、再び不安定に。そうして夜大声を出す祖父を怒鳴りつける祖母。認知症への最低な対応。厳しく言わにゃダメなんだという正論防御。ただ自分が制御できない怒りを吐き出してスッとしたいだけなのに相手のためと言うもっともらしい屁理屈。そんなこんなで苦労自慢スタート。自作自演、身から出たさびシンデレラループ再開。ストレスフル。さようなら試験勉強。


天才でない自分がもっとも真剣に勉強に打ち込まなければならなかった456月、はそうして過ぎた。

試験前日の時点で、必要な範囲の半分以上にノータッチ。「まだ完璧に覚えきれてない」とかではなく、ノータッチ。ページすら開いてない。それが半分。一周なぞった程度に勉強した科目が三分の一。全然ほとんど頭に残ってない。ちょっと教科書読んだだけ。言われてあー聞いたことある、とかそういう感じ。そんな状態。これで試験を受けようとかアホすぎて頭からエノキが生えるレベル。というかまぁ合格は普通に諦めてた。さすがにこんなんで結果を期待できるほどはっぴーな頭はしていなかった。

で、実際の試験。まぁ全体の2割くらい、それなりに反復して勉強した分野に関しては、少なくとも「問題を解く」ができた。あとは、聞いたこともないような人名や用語がでてきて意味が分からない、というか、考えて判断するための材料が脳内にない。当たり前。どうしようもない。適当に答えた。で、なぜか通った。まずこれがありえないほど運。

成績開示請求してみて見たけど、問題回収されちゃってるし得点だけだからどこがどう合ってたのか分からない。ていうかそういうことが起きるような変な問題ばっかり出して勉強してきた人が残るような試験にしてない、問題作成側に問題があるんじゃないかという問題提起。
面接試験も、予備校とか専門的な対策も指導も何もなかったけど、サークルの経験もバイトの経験もボランティアの経験も笑っちゃうほど何もなかったけど、自分が4年間やってきたことだけを胸張って答えたら通った。変に誇張したり、事前に文をつくったりしていかず、その場で正直に答えられたのがよかったのかもしれない。人と違うことだけど、迷いながら踏みとどまりながらそれでも続けてきた自分だからこその強み。ありがと自分。こんな志望動機はダメとか、こんな答え方はダメ、とか面接マニュアル本にはいろいろ書いてあるけど、結局、動機や見せる姿勢や今までやってきたことの筋が通ってるかが大事なんじゃないかと思ったり思わなかったり。まぁ最低限の礼節は必要よね。

で、結局自分の身の置き場はだいたい落ち着いた。
ほぼ全部が運だったとしても、3割弱くらいの結果は、限られたすきま時間に自分を磨くためと割り切って勉強してきたおかげと言える。もっと切り詰めれば勉強に当てられた時間もあるんじゃないかと問われれば、うん、普通にあるけど、それはきっと息を抜くために、頑張りすぎて破裂しないために、必要な時間だった。甘いかな?甘いかもしれない。だから80点。


結局、今だって祖母の引き起こす面倒事やひっかきまわされる家族やその他もろもろの苦労やストレスは絶えず毎日のように死ねばいいのにと思ったりしてるけど。いつでも死ねるように思ってる自分はどっかにいるし疲れたなぁと感じる瞬間も全然普通にあるけど。まだ自分は歩いていける。
てかこの文章書いてる途中にも、下でがたがた騒いでるから様子を見に行ったら、軽く逆切れされて、祖父を布団ごと縛る手伝いさせられたけど。まぁあんなしばり方じゃ出ていくのを阻止することはできないだろうけど。昼間まったく頼んでない必要のない仕事を勝手にやって、必然的に手伝わされて、そして夜しんどいって愚痴られても。人を貶すための努力なんか全く何の必要もないどころか迷惑なのでマジ寝ててくださいという感じなのだけど。どうなんだろうね。介護する側も高齢者で云々ていうのは、NHK的な何かで取り上げられそうな話題だよね。個人的には、老人虐待より、老人(による)虐待ていうのを議論してほしいと今一瞬思ったけど、あれほじくり出すだけ出しておいて結局なんの結論もないまま終わるしね。やっぱりいいや。

結論からいうと、死ぬまで終わらないやっぱりこれは。この人が亡くなるまで、自分はきっと毎日のように自制を続けるし、優しく美味しい添加物いっぱいの言葉を与え続けるし(最近はだいぶそれも疲れてきてるけど)、もはや彼女らのお葬式で涙がでるかも分からない。感謝はある。いろいろしてもらってきたことがあることも少しは分かってるつもり。正直哀れな人だと思う。けど、それ以上に負わされ曝された傷は深すぎた。なるべく早く今すぐにでも死ぬのが周りにとっても本人にとってもいいだろうと、冷静に落ち着いてそう思う。そして、亡くなった後で、きっと少しは思い出して悲しくなったり後悔するんだろうなと想像がつくし、散々な目にあってきた過去の自分を疑うようで申し訳ないし、そういうとこもずるいなと思う。勝手だなと思う。

毎日の自作自演の逆恨み騒ぎには冷淡に死ねばいいのにと思うし、自分もいつでも終わっていいやという気持ちはそのまま残ってる。
でも、全然まだまだ歩けていけるのは、やっぱり楽しいことを探せるようになったから。より大事にできるようになったから。
小さいことでいい。ちょっと美味しいものを食べたいなとか、あのゲームまだ途中なんだよなとか、昨日より上達したんじゃね?とかこの曲いいなとかこの絵かわいいなとか。幸いなことに、自分はその程度のことで幸せ成分をチャージできる。日々襲いかかる理不尽を踏み越えられる。


視野が狭い。その通り。積極性が足りない。その通り。

ただ、思考ストップ無心に懸命にひたむきに頑張ってつき進んできて、ドラマや映画で何を学んだ何に気付いたとか言ってしまえるよな真っ当な大人さんたちに、それを幼少から求められて生きてきた子どもの景色が分かるだろうか。


別に世代の若者を代表するつもりも、その資格もないけど、でも、

愛だの信じるだの、分かりやすい思考停止の鋳型をばら撒いてかつ情報あふれまくりな現社会で何が正しいかよく考えろ見定めろなんて立ち止まることを説いて、困惑し立ち止まり不安を感じる彼らをどうして見下せる?



進むには間違わなきゃならない。間違ったら立ち止まらなきゃならない。

…難しいよね。



と曖昧な言葉で結末を濁しつつ、この脈絡のない記事のまとめに入るのだっt(略