答え
「生きるために、生きる意欲を失った。」
どんな理不尽な要求も突然の罵声も我が儘な愚痴も束縛も、どれだけ奪われ侵され取り上げられても、捨てたから生きられた。これがしたいあれがしたい、生きたいという思いを失くしたから生きられた。
あの時は。これまでは。
いまわずかに、自分の望む未来を持った。
だからこの理不尽にこんなにも腹が立って悔しくてそして憎くて仕方がなかった。
「持ってないから生きられる。望んでないから生きられる。 」
生きるために必要なはずのものを、生きるために失った。
常識の範囲外。向上心も許されない。
ドラマじゃない。哲学でもない。
あいさつのようにかわされて、目の前に広がるふつうの光景。
ただこの一個人が直面してきた今さらな現実。切り離せない平凡な日常。
「生きるために死ぬか。生きようとして死ぬか。あるいは、殺すか。」
答えは出せない。
認知症。パーソナリティ障害。過去に根差した歪んだ価値観。ACOD。共依存。過剰労働。ストレス。老人性うつ。優しさ。冷たさ。忙しさ。介護するものされるもの。
キーワードなら既存に有してそれらは事実を示せども、これに適した解決策はない。
諸処のほつれがからまり合って混ざり合って。完全な終着点などありはしない。
何かのために誰かを踏みつけ、誰かのために自分を投げ棄て。
誰かのためにしてやった。いやいやながらしてあげた。こんなに我慢してるのに。
歪みは続く。怨瑳はめぐる。
それが普通か特別か。どちらでもいいのだ。
ただ必要なのは、楽しいかどうか。幸せかどうか。
自分が幸せか、最後に決めるのは自分自身。今でも過去でも。
僕らはその権利を持っている。
哀しんだって不幸じゃない。悔しくたって不幸じゃない。
それは自分で決めること。
逃げ出したくなる緊張も、居心地の悪さも、めんどうくささも、有り得ないほどの理不尽も。
ビビって、怒って、ふさぎこんで。
何でも楽しむ、なんてことは自分にはできない。
辛いしヘコむし泣きたくなるし、死にたくなることも何度も何度もあるだろうけど。
それでもまた楽しいことを探しに行こう。楽しいことを大事にしよう。
恨まないんじゃない。その感情を禁じるわけじゃない。
恨んでいい、憎んでいい。でも
それと楽しさを天秤にかける場面がいまならば。楽しさを壊してまで選ばない。
後者を選ぼう。ためらいもなく。
楽しいことがいよいよ何にもなくなったら、好きに勝手に終わればいい。
長くてせいぜい80年。
楽しいことがなくなるころには、どうせそのくらいは経っている。
自分はこれでいい。
こんな自分がいい。
「生きるために死ぬか。生きようとして死ぬか。あるいは、殺すか。」
答えは出さない。今はまだ。これからも。
きっと君が頑張ってくれたから。僕はこうして立ち止まれる。
ありがとう。
この声が君に届くことはないけれど
ありがとう。