いつかの現在地

2019/8/30引越し

がっこうぐらし!9話まで見て







注意

アニメ がっこうぐらし! の内容が含まれています。

































可愛い4人の女の子たちの水着姿やシャワーシーンが様々なアングルからしつこいほどに繰り広げられているというのに、右から左へ素通りしていくという不思議体験。




なんかもう次回が怖すぎますが、私は決して逃げません目をそむけません。(涙目

めぐねぇのことをもっとよく知っておきたいと思い、もう一度3話を見直しました。



やっぱり3話の煽り方はすごいです。鼓動と血圧がぐいぐい上がります。想像力がかきたてられます。

最後のシーンの意味が今さら分かりました。
切ないです。

くるみちゃんの「めぐねぇを怖がったりしねぇよ」という何てことない平凡な台詞が、先のことを思うと地味に刺さります。



責任感とか想いとか不安とか。めぐねぇの気持ちを考えると、心がキュッってなります。

今後の展開。
正直。そんな姿は見たくないです。嫌です。嘘だと言ってほしいです。


でも、目を背けるわけにはいきません。
その想いを知っているのなら、めぐねぇを思うなら、自分が見たくないからという理由で目を背けるわけにはいきません。



というか、描写が省かれているだけで、知っている人がヴァァーな状態になって目の前に現れるっていう経験は、くるみちゃんに限らず多分少なからずみんなしてるはずです。

視聴者からしたら満を持してと感じるかもしれませんが、実は今更なのかもしれません。
そんな経験をしてあんな笑顔で生活を送っていられるとしたら、それはもう、ゆきちゃんに限らずある意味全員マトモじゃないですが、マトモでいられるはずもありません。

やっぱり逃げるわけにはいきません。ちゃんと見届けなければなりません。


というか、5話を見終わったあたりからずっと、エンディングの意味深なラストから最悪最低な結末予想が私の頭の片隅から離れませんが、そうならないことを願って祈りながら毎週見ています。





私は、救いのない話は嫌いです。

流血や残虐、絶望。

進んで見たいとは思えませんが、別に絶対嫌だというわけでもないです。
ちゃんと最後に救いがあれば。

見る人を、そういうもので引きつけるだけ引きつけておいて、残念でしたさようなら、で投げるのは物語の作り手として最低だと思います。
現実がどうとか言って逃げるのも違うと思います。ただでさえ救いのない現実にいるのに、どうしてフィクションの中でさえそんな救いのないものを見にゃならんのか。白瀬と全くの同感です。

鬱だなんだと、部分だけ見て切り取ってネタにする空気も嫌いです。
ニコニコは面白いですが、ネタや笑いがなきゃ退屈みたいな空気が鬱陶しい時もあります。




期待半分、不安半分。


悲しい邂逅も、絶望もあって。

でも、それでも最後にはちゃんと救いがあると信じて。




残り2話?3話? 

いずれにしても、どうか本当によろしくお願います。(何を