いつかの現在地

2019/8/30引越し

おうたのれんしゅう(H31.2.11)

 
 
最近の気付きや課題まとめ

【注意:歌が上手くなりたい素人が書いた素人の記述です。専門書や専門家が書いた記事の方を信じてください。】



〇響きのある声
 これは一番最初の体験レッスンで一番最初に言われたことで、最近特に実感している部分で、いま最も意識しているところ。
 ちなみに、最初のレッスンでは、試しに一曲歌ったあと、君の歌声は作った感じの声だよね。せっかく良い低音の響きを持ってるのにもったいない。作った声だと絶対に聴き手に伝わらない。こどもの歌声が音を外していても、リズムがめちゃくちゃでも心に届くのは、作ってない声だからだよなどと言われて。んんーそんな観念的なこと言われてもなぁと、分かったような分からないような感じで、でもその翌日、車の中で歌ってみたら、この指摘は確かに核心をついているんじゃないかという感覚があって、今は確信に近い手ごたえがあって。

 声質というか、ただ音程だけが合ってるような、いわゆる「つまらない声」から、聴いた瞬間、お?って思ってもらえるような「魅力的な声」にするために必要不可欠なアプローチ。

 響きのある声。専門的には「倍音」、メインの音程以外にそれより下の音がたくさん混ざって鳴っている状態の音、をいうとのこと。生半可な知識で誤解を生みたくないので詳細は省略。


ポイントは、この声は『喉が脱力した状態で鳴る』ということ。

喉の脱力なんて、「カラオケ 高音」とかで検索すると何万件ってそれっぽいボイトレサイトがヒットしてくるくらいよく見かけるキーワードだけど、本当にここにヒントがあって。

私も、それまであんまり聴いたことのなかったアーティスト、特に世間で評価されている男性歌手のCDもいろいろ借りてきて聴いてみました。

秦基博、ゆず、米津玄師、星野源RADWIMPSコブクロ、amazarashi…と

特に、米津玄師さんの曲は、今ものすごい人気があるってことは知っていたけどほんとに一回も聞いたことがなくて、紅白で初めてその歌声を聴いて、この人は本物だーって感動して、即Lemonを購入したという経過もあったり。


とりあえず共通して言えることは、音の響きです。特にAメロとかの低音域
作らない声ってこういうことなんだろうなーって。

喉の力みをとるって、高音を出したい!ってアプローチを求めてる最中によく目にするキーワードですが、高音よりもむしろ低音域で顕著だったのが個人的な大きな気付き。


低音がかっこいい。かっこいい低音って?
 
まず気付いたのは、低音域の歌声で、声に合わせてびりびりした音が一緒に鳴ってるってこと。エッジ音というか。これ、自分でもやってみると分かるんですけど、脱力した状態じゃないと鳴らない音なんですよね。


分かりやすいなって思ったのが秦基博さん。秦基博さんはむしろ中高音域の脱力感がものすごい。
米津玄師さんも分かりやすい。あの低音域の歌声の心地よさは異常。
あと、つい先日初めて聞いたばかりですが、amazarashiの秋田ひろむさんの歌声も低音でめちゃしっかり喉が鳴っててとても印象的な歌声。
 

作った声じゃない歌声。その人の声で歌うから、音が響き、歌詞が届いてくる。
最初のレッスンで先生が言っていたのは、おそらくこういうことなのだろうと、今は結構納得しています。

歌う時の技術的な意識としては、以下の2点。

・喉に(余計な)力を入れないこと。
・一番響く場所に息を当てること。


低音域では少しずつできるようになってきたけど、まだいつでもできるわけじゃなく、コントロールは全然未完成。この脱力した発声が全音域でできりゃいいのだろうけど、おそらく高音域では少なからず力は入るものなので、全音域は多分むり。



一番直近で録った歌声
 ※素人ボイス注意

 低音の響き云々以上に、いちいち呼吸がうるさい。
 まだちゃんと呼吸の方法が無意識化出来てないんだろうな
 
 
 

 こっちの方が、低音びりびり感は分かりやすいかな。
 サビは歌ってる最中に歩いてる方と目が合って気まずい感じなったのでカットしてます。(
 

 当面の目標は、一曲通してこの発声の仕方を維持できるようになることと、なるべく高い音までこの音の響きを維持できるようにすること。そのためには、より精度の高いブレスコントロールとさらなる脱力トレーニングが必要。





〇リズム感
 簡単に言うと、声なんて十人十色、どんな声を好きと思うかは人それぞれ、最終的には「個性」だから正解なんてないけど、リズムは「定義」だよねって話です。上で散々述べてきた声質とか響きとか全否定。(おい

 でもこれも、私も確かになぁって納得している部分で、 
 どういうことかというと、前に書いた記事のとおりなんですけど
 
 例えば、どんな音色か、どんな音程かの答えは無数にあるけど、リズムの答えは一つしかないってことです。

 っていうと絶対に語弊がありますけど、音程って要素がなくても音楽は成立するっていうことは、前の記事でも書いたとおりで、


 例えば、世界に一つだけの花って歌の

 「花屋の店先にならんだ」の歌詞を「花屋の店先で見つけた」と歌ったとしても、初見の人はああそういう歌なんだなと違和感なく思うし、
 音程を「ならんだ↑」じゃなくて「ならんだ↓」と歌ってもドレミを外してなければ、やっぱりああそういう歌なんだなって思う。
 
 だけど、リズムはわずかにほんのコンマ秒ズレただけで、初見の人でも子供でさえも「ん?」「あれ?」って違和感を感じてしまう。

 ということだそうです。(伝聞調)

 いやいや、それ言うたら、音程が微妙にフラットしたりしても違和感あるやんとか、リズムだって拍から外してなければ答えは幾つもあるやんとか、そうなんですけど!

 ここで言いたいのは、人間は「言葉」よりも「音程」よりも「リズム」にとてつもなく敏感だ、ということなのだそうです。(伝聞調)

 そもそも私たちが当たり前に使っているドレミだって、いくつもある音律の一種類にすぎず、言語の多様性については言わずもがな。

 なのに、音楽経験とか有無にかかわらず、リズムのズレには高確率で反応できてしまう。


 
 共通言語などなく、まだピタゴラス音律さえ生まれる紀元前、言葉を持たなかった我々の祖先ホモサピエンスの時代から、石を叩いて草を吹き、狩りの成功に声を上げて踊り舞ってきたように、いつの時代も音楽は私たちと共にあった。

 そんな古代から続くメッセージとでもいうのだろうか。

(あさっての方向への問いかけ)
(唐突に終わる記事)