いつかの現在地

2019/8/30引越し

若い時の苦労は買ってでも


「若い時の苦労は買ってでもしろ!」
 
とは、私の嫌いな言葉です。とにかく嫌いです。
 
 
 
多分、言ってる方はあまり深いこと考えてなくて、体力ある若いうちにいろいろ学んどけよ程度の意味で言っているんだと思いますが、とかく私はこの言葉が大嫌いです。
 
以下、完全に私の持論です。
 
 
「努力」はすべきだと思います。
 
努力は人を成長させます。強くさせます。
向上心を持ち、自らを磨くため、より良い姿を目指すため、「努力」は買ってでもすべきです。
 
 
だけど、「苦労」なんか要りません。
 
「苦労」は、させられるものです。
状況や環境が、そうさせます。強いられます。嫌でもせざるを得ません。
 
だから「苦労」なんて、わざわざ買ってまでするものじゃないです。1グラムだってお断りです。
 
 
「努力」は磨くためにするもの。「苦労」は生きるために強いられるもの。
 
 
 
 
「若い時の苦労は買ってでもしろ!」
 
もしそんなことを真剣に言っている人がいたら、きっと私はその人を心の底から軽蔑し見下します。
 
 
あなたは、「あの時苦労してよかった」と言える程度の苦労しかしてこなかったんだね。よかったね。
イージーな人生でラッキーだったね。
 
嫌味たっぷりです。
 
 
 
だって、苦労が人を成長させるとは限らない。過酷が良い変化をもたらすとは限らない。
 
じゃあ、ケガで引退を余儀なくされたスポーツ選手に、事故で半身不随になった人に、親が過労死した家族に、同じことが言えるのか。
 
「苦労できてよかったね」って言えるのか。
 
 
誰が望んで「苦労」などするものか。
あとから振り返ってよかったと思える苦労もあるでしょう。でもそれだけじゃない。
自分でそう思うならまだしも、人に言われることじゃない。
 
せいぜい20数年程度しか生きていない私でも、苦労で壊れていく人、過酷につぶされた人。ちょっとは見てきました。つらい思いも少しはしました。
 
 
もし苦労が人を成長させるというならば、水が足りずに枯れそうな花じゃない、
水が足りずに枯れた花に、どんな言葉をかけるのか。
 
時間が経てば治る傷ばかりではありません。
 
 
 
はじめたばかりの最初の街に、レベルMAXのラスボスが現れた!
勇者のレベルは1。一撃で死ぬ。どうやっても勝てない。間違いなくクソゲーです。
 
もしも、自分のレベルに合った敵が順々に現れ、ほどほどに苦戦しながら経験値を積み、技を磨いた先でラスボスに出会ったなら、倒せたかもしれません。でも、いきなりは無理です。
 
そういう「無理」な苦労が、望もうと望むまいと舞い降りてくるのが現実です。
現実の苦労は、自分のレベルに合わせてなどくれません。
 
 
 
 
本当に、苦労をしてきた人、見てきた人なら、「苦労は買ってでもした方がいい」
 
なんてこと、冗談でも軽はずみでもきっと言えない。
 
少なくとも、相手のことを思ってそんなこと言えるわけがない。
 
 
以上のこの言葉に対する私のこの普通でない突っかかりは、きっと自身が見てきた苦労の押し売り貿易摩擦みたいな日常の中ではぐくまれてしまった歪みに他なりません。
 
 
それも含めて、「苦労なんて避けられるなら避けるべき」だと思います。
 
努力はどんどんするべきです。頑張りましょう。がんばります。
 
 
 
私は、「苦労は買ってでもしたほうがいい」だなんて、よほど憎い相手でなければ言いたくないし言えません。
 
 
 
涙の数だけ、強くなれない場合だってあるんです。