いつかの現在地

2019/8/30引越し

凡人と天才のスペクトラム

 

たぶん、 

そこには、明確な線が引かれているわけではなく、あるのは距離だけ。

 

誰かと比べた時の、距離があるだけ。

だからクラスで天才だったあいつも全国では凡人で、そういう意味では一位以外は全員凡人だ。

でもそれは言い換えれば、ほとんどすべての凡人が誰かにとっては天才で。

 

 

声が出せる。

字が書ける。目が見える。歩ける。掴める。考えられる。覚えられる。

 

その時点できみは天才だ。

と言ったら、さすがにあざといか。

 

でも、そんなにできてて「才能がない」は言い過ぎだ。

 

そんなの当たり前? 誰だってできる?

それはどうだろう。

 

声が出せるのに。字が書けるのに。目が見えるのに。

そのスタートラインに立ちたくても立てない人だってきっといて。

 

あなたの言う天才たちが「え、なんでできないの」と言うのと同じように、

あなたの言う当たり前が、きっと誰かにとっては当たり前じゃない。

 

『誰か』と比べて、前か後ろか。ただそれだけのことで。

ほとんどの人が天才で凡人で。なのに「私には才能がない」なんて言い過ぎだ。

 

 

よくある勘違い。

「凡人」対「天才」はあっても、「努力」対「才能」の構図は基本成立しない。

 

努力は凡人だけの持ち物じゃない。才能も天才だけの持ち物じゃない。

少なくとも私は今までに、努力してない天才を見たことがない。

 

 

とかく我々社会人は、「苦労」にばかり追われて、「努力」を忘れがちで。

 

そのキラキラとしたお話は、画面の向こう側のもので、あるいはフィクションの中にだけ存在していて。

自分には関係のない、遠い世界のことなのだ、と。

 

 

おやおや、これはこれは。

ただ努力をしていないだけの自称凡人の皆さま。ようこそ。

 

えっ、ちがう?

本当はもっと努力したいのに、日々降りかかる「苦労」に時間と体力を奪われてどうしようもない? 

疲れた、眠い、しんどい? 

 

あーはいはい。

 

 

 

わかる。