たぶん、
そこには、明確な線が引かれているわけではなく、あるのは距離だけ。
誰かと比べた時の、距離があるだけ。
だからクラスで天才だったあいつも全国では凡人で、そういう意味では一位以外は全員凡人だ。
でもそれは言い換えれば、ほとんどすべての凡人が誰かにとっては天才で。
声が出せる。
字が書ける。目が見える。歩ける。掴める。考えられる。覚えられる。
その時点できみは天才だ。
と言ったら、さすがにあざといか。
でも、そんなにできてて「才能がない」は言い過ぎだ。
そんなの当たり前? 誰だってできる?
それはどうだろう。
声が出せるのに。字が書けるのに。目が見えるのに。
そのスタートラインに立ちたくても立てない人だってきっといて。
あなたの言う天才たちが「え、なんでできないの」と言うのと同じように、
あなたの言う当たり前が、きっと誰かにとっては当たり前じゃない。
『誰か』と比べて、前か後ろか。ただそれだけのことで。
ほとんどの人が天才で凡人で。なのに「私には才能がない」なんて言い過ぎだ。
よくある勘違い。
「凡人」対「天才」はあっても、「努力」対「才能」の構図は基本成立しない。
努力は凡人だけの持ち物じゃない。才能も天才だけの持ち物じゃない。
少なくとも私は今までに、努力してない天才を見たことがない。
とかく我々社会人は、「苦労」にばかり追われて、「努力」を忘れがちで。
そのキラキラとしたお話は、画面の向こう側のもので、あるいはフィクションの中にだけ存在していて。
自分には関係のない、遠い世界のことなのだ、と。
おやおや、これはこれは。
ただ努力をしていないだけの自称凡人の皆さま。ようこそ。
えっ、ちがう?
本当はもっと努力したいのに、日々降りかかる「苦労」に時間と体力を奪われてどうしようもない?
疲れた、眠い、しんどい?
あーはいはい。
わかる。