いつかの現在地

2019/8/30引越し

次の方法(H30.10.20)



当初の目標を終えて、でも結果満足できずしばしのロスタイムを得た私の「おうたのれんしゅう」


この本気を続けるにあたって、絶対に必要だと思っていることがあります。

それは「今までの方法(だけ)ではだめ」だということ。


なぜそう思えるのかというと、今年の1月1日から10月5日まで毎日、割と本気でベストを尽くしてきたからです。

ネット上には、誰が書いたんだよってレベルの真偽不明な方法論やすぐできるようになるみたいな独自メソッドなど、歌やカラオケについて検索すると出てくる情報は山のようにありますが、どれも断片的で、真剣に取り組むには正直不十分。

この挑戦を始めるにあたって、真剣に練習するなら、それが間違っているかどうかともかく、ちゃんとした著者が書いた一つの論理体系に寄ったボイトレ教本を参考にすべきだと思いました。


なので、個人的にこれはと感じたボイトレ本4冊から、今の自分に特に不足している部分を重点的にできるよう、また、毎日継続できるようボリュームで、自分用にアレンジしたトレーニングメニューを今年の1月1日から毎日続けてきました。

「アレンジ」とは言いますが、それは練習の組み合わせの話で、すべてボイトレ本にある既存のトレーニング内容です。
もちろん、進捗や振り返りの中で新しく加えたり省略したりはしましたが、オリジナルの練習内容は一つもありません。


課題の捕捉、効果的で正しい練習方法、そしてそれを継続する。
それを9か月続けました。

「専門本を読み自分で試行錯誤しつつ練習する」という方法においては、私は9か月間できることは全部やったという実感があります。だから逆に今見えてないものは、今のやり方ではこの先も簡単には見えてこないだろうなと。

 
自力のみではここが限界。自分の現状にあった指導をしてくれるせめて課題を指摘してくれる専門家が必要だと。

だから、先週、近所のボイトレ教室の体験レッスンに行ってきました。



理想ならボイトレ本の著者がやっている教室に習いに行くのが一番でしたが、その類は会場が全部都内ですし、金銭面と時間の関係で無理がある。

とはいえ、地方のボイトレ教室です。
正直その内容にはかなりの不安がありました。

講師の経歴とか求人情報とか、いろいろ調べましたが確たるものは見つからず、まぁ体験レッスンだし、くだらない内容だったら行かなければいいやくらいのノリで行ってきました。



内容としては、想像していたよりも良かったです。

たった1時間のレッスンでしたが、課題と克服、原因と結果の説明が、感覚論ではなく身体構造的に筋が通っていて好印象でした。

あとは、自力の一人で練習を続けていただけなら気づかなかっただろうなという点について、一番最初に指摘があって、それが自分の中であー言われてみれば確かにと、しっくりきたということも大きいです。

相手に伝える歌を歌うために必要なこと。声を作らないこと。


楽で効率的で、高音も出て、音程も合ってて…
今までそういう「声探し」をしすぎてて、気づかなかったこと。

この気づきがなかったら多分、どんなに練習をして音程を磨いても、
音程やリズムがだいたい合ってる「カラオケが上手い人」にしか到達できなかったと思うので、ここでのこの気づきは大きな収穫でした。

私は別にカラオケが上手い人になりたいわけじゃないので、届けるための発声の意識。その基本。それを身に付けるための基礎練習を得たこと。正直これだけでも十分に価値のあるものでしたが、決めました。


この教室に通うことに決めました。
 
賭けてみる価値はある。率直にそう感じました。



もし私が都内に住んでいたならもっと早く行動できたかもしれませんが、やはりまだ心のどこかに、「一人でもできる」って思いがあったんだと思います。

ほら、そんな教室通わなくたって歌上手い人いっぱいいるじゃん、て。


ぶっちゃけそんなの天才の場合は、なんですよね。
もしくはそれまでの経験や積み重ねがある人

何か特別な練習なんかしなくたって、上手い人はめちゃめちゃ上手い。

どうやって上手くなったのって訊ねても、「昔からカラオケが好きだっただけだよ」って
「歌ってるうちに出るようになった」って


それだけで上手くなっちゃうから彼らは天才なわけで、そうでない自分はさっさと次の移行すべきだった。
いま上手くなろうとしてるのは、天才の友人でも誰かでもなく、この身体の自分なんだから。

これが「凡人が指導者なしでどこまで上達できるかチャレンジ」なら別に自力の独学で続ければいいんでしょうけど、私が欲しいのはとにかく「思いを歌という形にする力」



ピアノや楽器の演奏なら先生がいて、指導を受けながら上達していくのは当たり前のことなのに、それを「そんなものなくても一人で出来るぜ!」って。歌ならそれができると? 「歌」をなめていたとしか言いようがない。

その「当たり前」を飛び超えていくから彼らは「天才」なのに
自分は違うんだから意地なんか張ってないでさっさと指導を乞うべきだった、反省。


指導者の言うことになんでもYESYESの思考停止になろうというわけではないけど、指導者という存在。
これは頑張りましたの自己満足じゃなくて誰かに歌を届けたいと願うなら絶対必要な一手だったなと、今更ながら思うことしきりです。



とりあえずまず3か月。

新しい環境と今まで積み重ねてきたこの自分で自分の可能性を探ってみようと思います。