いつかの現在地

2019/8/30引越し

過去3

2月。兄は見事志望大学への合格を決めた。

これからは、勉強やそれ以外のことにおいてもう兄に頼るわけにはいかない。今まで以上の責任感を感じた。
そして、相変わらず祖母と祖父の喧嘩は続いていたし、この状況から抜け出せる兄を羨ましく思った。


4月。兄は旅立って行き、僕は高校2年生になった。


「○○ちゃん?○○ちゃん!ちょっと来てー。」
祖母は頻繁に僕や2階に声をかけるようになった。寂しさを紛らわせるためかもしれないし、いずれは僕も家からいなくなるという先のことを意識するようになったからかもしれない。
僕は、祖母の昔話も一緒にいて聞いてあげたし、畑の手伝いもしたし、必ず毎晩おやすみと言うことも続けていた。

「年寄りなんか内心ではけむたがられているだけだ」と、祖父に話しているのを聞いたときはショックだったし、おやすみの返事が「バカ野郎この野郎」という怒鳴り声だった時もあった。

それでも、「私ももう長くないで。」「これが最後かもしれんで。」という祖母の言葉を聞いてしまうと、残りの時間だけでも幸せでいてほしいと思ったし、幸せでいてもらえるように努力を続けた。
そして、周囲の人たちが僕に貼る「いい子、できる子、親孝行」というレッテル。祖母の「自分の子に悲しい思いをさせたもんで、孫たちにはそんな思いをさせたくなかった。」「わしゃあは命をかけて育ててきた。」「××(兄)はそれに応えてくれた。」その一言一言が重圧となり束縛になった。


汚い、とろくさい、顔も見たくない、早く死ねばいい、私なんか売春婦だったんだ。

祖母はなぜこんなにも祖父をボロクソにけなし、心の底から恨み嫌うのか。
高校1年生の間、そこに起きていることは何のか、自分だけは決めつけのない歪みのない視点で見てこようとした。
本当に祖父は祖母が言うほどに最低最悪な人間なのか。
家族でただ一人、中立の立場でそこ起きている争いを見てきた。

一日中、何もせずに座っているだけで、ご飯は若者と同じくらいの勢いで食べる。

ダメ人間ではあるが、これくらいは82才ともなれば特別珍しいことではないかもしれない。

祖母が働いているスキを狙ってタバコや酒を買いに行き、夜はその臭いといびきで祖母は全然眠れない。夜中に薬をとってほしいと祖母が言っても、うるさそうに布団にもぐりこんでしまって何もしてくれない。それどころか、僕がいつものようにおやすみを言いに1階の部屋へ降りていき、床に祖母が倒れていたのを見つけた時、そのすぐ近くに座ってテレビを見て続けている祖父の発した言葉は、「疲れたから、寝とるんだな。」だった。


祖父はそれほどまでに最低な人間ではないと思えたし、ときに思いやりのかけらもない人間のようにも思えた。


結論から言って、そこに起きていることはあまりに自然なものであった。50年もの間、体の弱かった今の祖父を看病し、支え、毎日の酒やタバコに耐えてきた祖母に対して、ありがとうの一言どころか感謝の素振りすら見せたことがない。そのことを考えれば、今の祖母の祖父に対する怒りと悲しみはあまりに当然のものなのである。


そして、毎日毎日執拗なまでの言いがかりやこきおろしを受けていれば、祖父のようなダメ人間でなくともストレスを溜めるのは当たり前のことで、そのためにタバコや酒に走り、それをまた祖母が叱り散らす。そこに出来ている悪循環はそれぞれが納得の理由でできていて、祖母に「そんな程度のことでいちいち怒鳴らんくても…」と言っても、50年もそんな目にあってきたなら無理もないし、「それでも祖父の勝手気ままな言動には目をつむれ、我慢しろ」だなんてとても言えない。祖母はもう限界なのだ。


そこにある原因や問題が分かってもどうすることもできない。どうすることもできず、ただ中立の立場で聞き続けるしかできないことが歯がゆかった。その中で、祖母にとっての楽しみや希望を担っているのが僕らであるというその事実が、僕の行動を縛り委縮させていった。




その祖母と祖父の抗争に僕が感じるストレスは、そういった分析とはまた別だ。

その諍いが互いにしかたがない原因でできているとしても、それを毎日毎日学校から帰ってきて家にいる間ずっとやられていては、その事実とは別に僕にもストレスがたまっていく。いや、自分や妹は学校で過ごす時間も多いからまだマシなんだ。問題は、それに毎日毎日一日中巻き込まれなければならない母の方だ。このままでは母が先に参ってしまうかもしれない。
そして、その読みは正しかった。それまで、表向きは祖母に合わせて何も言わなかった母が、2階ではあからさまに「また何かおばあちゃが騒いでる。もう私は知らんで見てきて。」と言うようになった。仕事から帰ってきた父にババァがうるさいと吐き捨てることもあった。父は会社の方が忙しく、いつも帰ってくるのは9時過ぎだった。妹は以前よりも祖母や祖父を避け、祖父を軽蔑した目で見るようになった。

腕が痛いと唸っている祖母。さっさと布団を敷いて先に寝てしまったいつもどおりの祖父。適当に相槌を打ってはいるが「人の痛みなんて分かりません」と言って本当は心配もしていない様子の母。家のことには我関せずの父。口数が減った妹。

家族が壊れかけつつあることを感じた。