いつかの現在地

2019/8/30引越し

一匹のセミとの出会いと





私が通っていた小学校は、小説にでも出てきそうな山の上にあって。

登山道みたいな通学路でクワガタやカブトムシを捕まえて帰ったり。
ときには、スズメバチに追われたり。ハンミョウを追いかけたり。

虫とか花とか大好きで。


セミの抜け殻なんて珍しくもなんともない。
そんな私でも、生きたセミの幼虫に遭遇したことは数えるほどしかなくて。


だから今日、畑の水やりから帰る途中に偶然見つけたそいつの姿に思わず見入りました。



イメージ 1


のそのそ、もぞもぞと木を登っていくアブラゼミの幼虫。


まるで、初めて見る地上に戸惑っているようで。急いでもいるようで。
いやずっと地面の中にいたんだし、そもそも目なんて見えていないのか。







ネットで調べたところ、セミの幼虫の羽化成功率は50パーセント以下だとか。

一体どうやって調べたんだよって、眉唾なデータだけど。



たまたま出てきた場所がハチの巣の近くならエサにされて終わりだし、風が強い日ならば落ちて終わりだし。

いきなり何の練習もなくぶっつけ本番で地上に出てきて、羽化とかいう奇跡みたいな大変化を僅か一晩のうちに起こして、空へと飛び立つ。


じっくりと観察して見れば、羽の畳み方どうなってんだよって思うし、改めて考えると、とてつもないドラマがこんなそこら中に数えきれないほどに転がっている。



久しぶりに胸が躍るようで、わくわくした。

屋根から降りてきた野良猫が木を揺らした時には、思わず大きな声を出して追い払った。




イメージ 2




イメージ 3





その後も、三十分おきに様子を見に行った。


背中が割れて、薄緑色の背中が見えた。

次に見に行った時には、もっと割れ目が大きくなっていて。

日も落ちかけた3回目。さっきと比べてあまり変化がない。動いている様子もない。
休んでいるんだろうか。死んでしまったのだろうか。





そして、日が落ちてから見に行った4回目。
一目で分かった。

見たくなかった。見なきゃよかった。


後悔。嫌悪感。

自然の出来事なんだから仕方がない、テレビのドキュメンタリーじゃない。仕方がない。



冷静に、冷淡にそう思うけれど、やっぱり気持ちは沈んで。嫌な気持ちになって。

3時間前に出会ったその命は、無数のアリに群がられ、終わりを迎えていた。













だから何だよ、って。


途中で野良猫が来なければ、羽化できていたのだろうか。
すぐに木からはがして、暗い部屋のカーテンにでも付けてあげていれば、羽化できたのだろうか。

羽化できたとして、すぐ鳥に食べられていたかもしれない。
車に踏まれていたかもしれない。死んでいたかもしれない。

数週間、元気に鳴いて、つがいとなって、次の命を産んだかもしれない。


種の保存としてはそれが一番よりよい形なんだろう。
でも、つきつめれば、それで羽化して生き延びて子孫を残して。





でも、だから何なんだろう。

そんな一匹のセミが生きたとか死んだとか、どれだけの意味があるんだろう。
世界の何にどんな影響を与えたのだろう。


世界の何にどんな影響を与えたとして、それにどれほどの意味があるのだろう。




例えばその木からはがして部屋に連れ帰って、僕はそいつを助けたつもりでも、ただストレスを与えただけで、やっぱり死んでいたかもしれない。

そいつがその日、その場所、そのタイミングで地上に出てきた時点で、そういう運命だったのかもしれない。

僕が見つけようと見つけまいと、結局そいつは死んでいたのかもしれない。何も変わらなかったのかもしれない。


何も変わらなかった。

そうなのか。






そのセミはやっぱり結局必ず死ぬとしても。
私がそいつに出会ったしまった時点で、多分そいつは、無意味ではなかった。


いや。自分でも、すごく傲慢な言い方に聞こえるけど。


命の重さ。じゃあさっき潰して殺した蚊と何が違うのか、なんて、
夏の終わりに道端に転がっているセミの死骸と何が違うのかなんて、

別に哲学してるわけじゃない。そんな説教見当違い。


自分が可愛いと感じた生き物がいて、
ついさっきまで歩いてたそいつが、今は木についたままアリに食われるうごめく黒い塊になっていて。悲しいというか、悔しいというか、ただただ気分悪くて、気持ち悪くて。

そんな揺れた心を、「毎日肉食べてるんだから屠殺を見てかわいそうと思っちゃいけない」みたいな、そんな説教が見当違い。

命の数とか重さとか、矛盾だらけが人なんだから、現に今こんなに心が揺れているんだから、そんな話がしたいんじゃない。




何も変わらない、なんてことはない。

ひとをこんな気持ちにさせておいて、意味がなかったなんてありえない。


地球上に数十億といる一匹の人間が、胸を躍らせたとか嫌な気持ちになったとか。
世界の何にどんな影響を与えるのかもわからない。

そんな意味のない、どうでもいい、誰にとっても必要ない
特別でも何でもない、ありふれた出来事。









2017年の7月29日。
日本の田舎の小さな町のあるところに、こんなセミが確かにいました。って残したい。

きっと私も忘れてしまうだろうから。

そんな私の些細な想いです。






やっぱり可愛いね。