いつかの現在地

2019/8/30引越し

現在地(2014/8/18)




少しは忙しかった祖父の新盆も終わり、暑い暑いと言いながらも、今年の夏ももうすぐ終わるんだろうなと、虫の鳴あふれる日曜の夜にちょっともの思う今日この頃。いかがお過ごしでしょうか。


ちなみに私は暑いのより寒い方が苦手です。暑さよりもクーラーとか汗が引いた後の寒さとかで体調を崩します。なので外出するときも職場でも、いろいろと調節の効く長袖を着ていくことが多いです。

上司「‥‥半袖買うお金もないのかい?」 「ちがいます!」

体温調整ポテンシャル的にも、蚊への防御対応力的にも、長袖の圧勝ですよ!暑いって?袖が邪魔なら腕まくりをすればいいじゃない!!そんなわけで私は長袖万能説を強く推したい!(どうでもいい)



前置きはそれくらいにして。

いま少し考えています。特にここ2週間ほどちょっといろいろ考えています。


自分のこれからと、生き方について。




なーんて言うと「うわぁこの人‥‥」って感じに仰々しいので、もっと簡単に言うと、休日の過ごし方とか、時間の使い方とか。少し考えてます。


土日は、ほぼ毎週、実家へ帰っています。
片道2時間半。滞在時間は、まるめてだいたい24時間。土曜夕方に帰って、日曜夜にまた戻ってきます。

家族は喜びます。楽しみにしているのが分かります。繰り返しすぎてそれが日常化してしまっているようにも感じます。
車の運転は好きではない(むしろ嫌い)ですが、まぁ練習がてらと、毎週往復して、昨年から累計で走行メータはすでに1万7千キロです。ほぼ実家との往復だけです。これだけ走っておいて運転嫌いとか言っても説得力ないです。
まぁ運転自体は嫌いですが、好きな曲を聴きながらなので楽しくないわけでもないです。

この状況は、「普通」から見たら、ちょっと異常かもしれません。
そしてそれが普通から見て普通じゃないとか異常だとか、気になりません。今さらです。そんなのはどうでもいいです。そうではなくて、

私から見て、どうなのか。少し考えました。




なんだかんだで社会人2年目。
正直、数年前の自分は今の自分の姿を、欠片も微塵も想像もしていませんでした。

無理もありません。その頃にはもう死んでると思ってました。というか、死んでてほしいと思ってました。


分かり合えない家族に。気付けない家族に。いっぱいいっぱいな家族に。どうにもならない現実に。憤って諦めて伝えることもなくて。
周りに、自分に、疲れ果てて。今を生きるだけのエネルギーしかなくて。避けたいものはたくさんあっても欲しいものはなくて。早く終わってくれないかなぁとずっと思っていました。

悲しい事故。夢を持ち未来ある学生を襲った悲しい出来事。
そんな疑いようもない終わり方で、それに誰も気づかないまま、終わってくれることを願っていました。

自分で終わらす気はありませんでした。だからこそただずっと終わりを待ってました。

逃げちゃえばよかったのかもしれません。壊してしまえばよかったのかもしれません。でも、結果、踏みとどまったから、何も起きることはなく、まるでそんな苦悩も葛藤も何もなかったかのように日常はここまで続いています。


あの時の気持ちは、そして今の気持ちは、どう説明してもすべての人には伝わらないと思います。当たり前です。
大げさに言ってるだけじゃないのか? それを自ら経験してきたはずの自分でさえも、過去の自分の訴えに嫌疑を覚えます。
自分は全力で完璧に頑張ったけど周りが悪かった。そんなねつ造じみた過信も生まれます。

振り返ってみればそれは酷く狭く下らないものだったのかもしれません。

でも、事実、ずっと、そんな自分がそこにいました。そんな風に過ごしていました。もちろん楽しいことも嬉しいこともたくさんありましたが、いつもそんな気持ちが一番奥にありました。



その時の自分たちが想像もしていなかった今の自分。ここまで来てしまった今の自分。


そんな過程を知ってか知らずか、今、

自分を慕ってくれてる人がいます。
自分を頼ってくれてる人がいます。
自分に期待してくれてる人がいます。

一緒にいたいと思ってくれる人がいます。
共有したいと思ってくれる人がいます。


確かにそう感じます。

勘違いやうぬぼれだけではないです。家族だけでなく、仕事でも、友達でも、それ以外でも。事実、確かにそう感じます。
それらは素直にうれしいです。同じくらいに重たいです。
それと同じかそれ以上に、そんな気持ちに応えたいと感じます。頑張りたいなと思います。


今だって、あの頃ほど露骨ではないですが、いつでも終わっていいやという気持ちはあります。
今こうして一応にやっていることが、その過程を知っている自分からしたら、十分に大躍進です。

そう思ってるから、かえって、どうせいつ終わってもいいんだから、今はとりあえず行けるとこまで頑張っておこうと動ける部分もあります。



それら全部ひっくるめて、


いま自分が何をしたいのか。これからどうしたいのか。

あの頃のように、状況や環境に強いられて(本当にそうなのかはともかく少なくともそういう思いで)、やっているだけなのか。

何をしたいのか。どうありたいのか。



誰かといるのが嫌いというわけでもありませんが、一人でいるのは好きです。
好きなゲームやって、お気に入りの動画見て、好きな曲聞いて、可愛い絵を見て、自分も何か書きたくなって。一人タイムが全然苦になりません。むしろ足りません。

やりたいことはいくらでもあります。やらなくちゃいけないこともいっぱいあります。もっと知らなくちゃいけないことも、勉強できることも山ほどあります。溢れてます。

そんな中で、今のままでいいのか、どうしたらいいのか。


実家からの片道2時間半の道のりを帰りながら少し考えました。








まず、現実が一番優先。
至極当たり前のことですが、絶対にはずしてはいけない部分です。

それを守らず手にした欲しかったものは、後からきっと重みになります。選んだことで負い目を負います。
それが好きで大切に思うならばなおのこと、この場所からは絶対にぶれてはいけません。


その上で。

今、あるいはこれから自分が、いいなと思ったもの、好きだなと感じたもの。
それが現実でも幻想でも、絵でも人でも音楽でも、

そう感じたものとそう感じたことを大切にしたい、と思いました。


嫌だし面倒くさいけどやらなくちゃいけないこと、それでもやるんだと思いたいこと。てんこ盛りです。

まだ20代で何を悟ったことを言ってるのかという話ですが、
多分おそらく、時間は全然足りません。全部をやるには、絶対時間が足りません。

未来を描いて、進むべき道を見据えて、誰かと出会って結婚して、自分の家庭を築いて、とか、正直そこまで考えられません。
自分のことをそう言う風に好いてくれる人がいるのか、自分がそういう気持ちになる日が来るのか来ないのか分かりませんが、正直今はまだそう思うところまでいけません

その時が来ればそれでいいし、来なければそれでいいやくらいにしか思えません。(果たしてそれでいいのかどうかはともかく、家族の想いもともかく)




今好きなものを、3年後、10年後もまだ好きかどうか分かりません。

だからこそ、それをちゃんと残しておきたいと思いました。
手放すときが来るならばこそ、今ここに置いておきたいと思いました。(そして人生初めて薄い本を買いました


多分こだわる必要はありません。
自分がしたいこと、欲しいもの、大事なこと。

時間が限られているこからこそ、それを忘れなければ多分大丈夫です。
伝わらなかったら仕方がないです。ひとも自分も全部を理解などできません。




だから今はとりあえず、現実は頑張るし、一人で好きなことして遊ぶし、実家にも帰りたければ帰るし、勉強もするし、マジで誰が読んでくれてるのかも分からないこのブログも、書きたいと思う限りは続けていきたいな、と改めて思ったのでした。