いつかの現在地

2019/8/30引越し

総括(一年と今までを振り返って)



Q.2013年はあなたにとってどんな一年でしたか?
A.一日一日がとても長くて、でも振り返ればあっという間、そんな一年でした☆
 


嫌なこといっぱいありました。面倒くさいことけっこうやりました。

でも、どうにか、なぜだか、ここまで意外と凌いでこれました。



嫌なこと、嫌いなこと、面倒くさいこと、そいつらが目の前に積み重なってヘイヘイヘーイしてる時。

考えるのは、自分の限界。

おそらくできない。間に合わない。じゃあどうしよう。「できることを、できる範囲で、全力で実行する。」
いつもそれだけ。多分それは一種の諦め。「全力でやったけどダメでした。」言い訳。弱音。悟ってるだけ。そうかもしれない。

時間短縮、効率化、間に合わないことを前提にするから、優先順位をつけられる、最善の方法を模索する、考えることをやめない。…その上でできないものはできない。それでも無理なものは無理。

「ここでさらに仕事を頼まれたら正直しんどい」「これ以上お客さん来たら処理が間に合わない」
そんなときに、「多分頼まれる。どうせ電話来る。」と、割と初めから思っている。思っているからまぁまぁ平気。間に合わない?知ってた。だから本当に必要なものを模索した。あの人いつもサボってる?自分が向上できたらそれでいい。『今の』最善は尽くした。無理なものは無理。私天才でも優秀でもないもの。

悩んで荒んで諦めた、あの日あの頃の別に好き好んで身につけたわけじゃない、そんな期待しない思考傾向が意外とちゃんと役に立ってる。ネガティブの上に生じるポジティブ。自分のための努力。緩やかで断続的な向上心。
映画やドラマで覚えたわけじゃない、自然とたまった自分の経験値が自分を支えてくれる。それらはこれまでやたら足を引っ張ってきて、今でもしょっちゅう邪魔していると思うけど、それを拒否はできない。しようとも思わない。

当たり前のこと、どの時も自分も無駄じゃなかった。つまんないくらい普通のこと。


飲み会?正直全然行きたくない。お金もったいない。酒好きでもない。面倒くさい。でもまぁ行けば行ったでどうにか楽しもうとして楽しかったり、得るものも案外たくさんあったり、なかったり。嫌なものは嫌なままでいいし別に好きになろうとか思わないけど、自分の幅が少し広がるのは少し素敵。知った上で選べばいい。ちょっと楽しい。

車の運転?正直全然楽しくない。運転したくない。面倒くさい。重い。自分ひとりで事故るのも誰かの運転で死ぬのも全然構わないけど、自分の運転で誰かを傷つけるのだけはマジで勘弁。自動車とかいう不完全で危険な乗り物に1か月やそこら練習したくらいの素人が乗れてしまうのはどうにかした方がいい。車とかこの世界からなくなればいいのに。まぁ必要なら乗るけど。そのための練習もするけど。嫌いだけど乗る。乗れる上で嫌えばいい。


自分がところどころ他の人とずれていたり欠けていたり、それが原因でいろいろいやだったりめんどうだったり、それはしょうがないやと、思う。だからこそとも思う。

嫌なものは嫌だし、めんどうなものはめんどうだし、でも、それを選択することもできるようになるのは悪くないかなと思う。
やっぱり自分の芯になっているのはその部分。少しの向上心。「よりよく」あること。けしてストイックではないけど、飽きもしないで続いていく、そんな少しの向上心。

経過は結果。結果は経過。よりよく、都合よく。


どの時の自分も無駄ではなかった。

もう誰ともかかわりたくない、めんどうくさい、一人でいい。そんな自分を間違っているとは思わない。
朝5時に寝て、夕方4時に起きて、だらだらとテレビ見てパソコンいじって日が暮れて、コンビニ行って菓子買って食べて、朝5時に寝て、反省と決意とあきらめを繰り返す。そんな毎日を無意味だったとは思わない。
いつでも終わっていいや終わればいいのにと思いながら過ごした4年間を、どうかしていたとは思わない。もったいなかったとは思わない。

全部、必要だった。そう思う。


ある友人は言っていた。「大学4年間は黒歴史、無駄すぎた。思い出したくない」
彼は今、そのころの自分を払拭するべく、取り戻すべく奮闘している。日付が変わるまでのサービス残業が続いても、自分の楽しいことも見つけて大切にして頑張っている。今すごい充実してる。正直楽しい。彼はそう言って笑った。

彼が逃げているのは分かっていた。満足していないのも感じていた。そして今、彼はそんな後悔をバネにして、前を向いて頑張っている。それはとても嬉しい。素晴らしいと思う。見守っていきたい。


だけど、私は自分のそれが無駄だったとか、もったいなかったとか、不思議と全然思えない。多分それは必要な時間だった。そして。正直楽しかった。かなり楽しかった。
もしもう一年同じだけの時間がもらえたとしたら、多分自分は同じようにその一年過ごすことになるだろう。天性のダメ人間。

納得して、進むなら、それもまた良いんじゃないか。


幼稚で稚拙で偏狭だったとは思っても。
どの時の自分も、無駄ではなかった。きっと全部、必要だった。そう思う。

それは多分、今の自分がなんだかんだでいろいろ乗り越えていくから、そう思えるわけで。
そしてそのいろいろ乗り越えていく自分は、今までの自分があったからそうできたんだと言って。

互いが互いを認めたり支えたり。


それってけっこう悪くない手前味噌。




問題など山ほどあって、迷ったり揺らいだりすることなど日常茶飯事で。

それでも、楽しいことがあって、前にも進んでいけるなら。私は十分満足です。

今年も一年おつかれさまでした。来年もほどほどに頑張りましょう。


そんなことをしみじみと思う年末の夜下がりなのでした。