いつかの現在地

2019/8/30引越し

日常



平成26年1月14日早朝。

おじいちゃが死んだ。


しゃべらなくなって、動かなくなって、冷たくなって、骨になった。


悔いはない。
だけど、ときどき、おじいちゃの仕草や表情を思い出して、そしてそれがもう二度と戻らないものなんだと思うと、悲しくて、寂しくて、涙がこみ上げてくる。

無理に紛らわそうとしたり、反対に素直に泣こうとしたり、そんなことはしなくていいし、してもいいと思う。

どうせ、時間が解決してくれる。解決、されてしまう。


悲しい、寂しい、だけどさようなら。


そんな風に過ごし過ぎてく日常が、新しい日常を形作っていく。

それはまた寂しいことで。でも必要なことで。


だから今は、これでいい。