おじいちゃが死んだ。
しゃべらなくなって、動かなくなって、冷たくなって、骨になった。
悔いはない。
だけど、ときどき、おじいちゃの仕草や表情を思い出して、そしてそれがもう二度と戻らないものなんだと思うと、悲しくて、寂しくて、涙がこみ上げてくる。
無理に紛らわそうとしたり、反対に素直に泣こうとしたり、そんなことはしなくていいし、してもいいと思う。
どうせ、時間が解決してくれる。解決、されてしまう。
悲しい、寂しい、だけどさようなら。
そんな風に過ごし過ぎてく日常が、新しい日常を形作っていく。
それはまた寂しいことで。でも必要なことで。
だから今は、これでいい。