いつかの現在地

2019/8/30引越し

ツンデレとか正論とか



こんなブログとも呼べないような統一感もなく好きな時に好きなことを垂れ流してるだけの独り言サロン&フロンティア略してサロンティア(今考えた)でも、長いことやってるとそれなりにどこからかどういうわけか訪れてくださる方がいるようで、いつの間にやら訪問者の数が1万人を超えていました。



ひゅーひゅー。



いやなんかほんとにありがとうございます。

この広大なネットの海の中で、どうしてどうやってこんなブログにたどり着くのか正直さっぱり分かりませんが、ほんとうにありがとうございます。


ぶっちゃけ毎日訪問者カウンターを回すためのヤフーの自動プログラムみたいなものが巡回してるだけなんじゃないかという根拠のない疑惑がとどまることを知りませんが、それでもきっと年に2,3人くらいは実在する誰かが訪れてくれてるのかなぁと思うとやっぱりちょっとは、ぜ、全然うれしくなんかないんだからねっ!というツンデレの気持ちが分かってしまうような気がしないでもないようなそんな嬉しさと愛しさと切なさが胸をしめつけ(略



ていうか、ツンデレって実際どうなんでしょうね。

私は割と、ツンデレって結構うざいものなんじゃないかと思いますね。(ぇ

あれはそもそも可愛さレベル100近いキャラクターが、誰の目に見ても明らかな形でバレバレな反対行動をとるから可愛いのであって、決してツンデレだから可愛いわけじゃないと思うんですよね。むしろツンデレというマイナス要素を備えつつもなお可愛いと感じられるそのキャラクターの可愛さ値の高さがすげぇって話なんですよね。
自分がそうしたいくせに他の理由を持って来たり、確からしい正論引用してる人には、ああうん、じゃあいいよって冷たく突き放したくなりますね。(

あと「可愛いから許す」とか「可愛いは正義」とかそれはえぇ本当にその通りだと思いますが、そもそも「可愛い」という感情自体、すべて外見的要素で構成されているわけじゃないですよ。それは勘違いしちゃあいけないですよ。見た目ぴか一でも言動一つで可愛さレベルは余裕で0になりえます。普通です。ドン引きですよ。
「可愛い」を構成する要素の中で「見た目・外見」が占めるウエイトが大きいものであることは否定しませんが、それだけで「可愛い」という概念、あるいは心に芽生えるその感情が成り立っているわけではないのです。
なので、可愛いから許されるというのは、外見その他もろもろの要素を複合して「可愛い」から許されるのであって、言動如何ではイライラカリカリ普通です。サヨナラバイバイ余裕です。視覚情報が重要なものであることは否定しません。実際、他人の性格や内面なんて結局、仕草や言葉や外に出力されたものからでしか通常認識できません。しかし写真で切り取ったような一般普遍的な可愛さ美しさ、いわゆる外見だけでは計りきれない。可愛いは作れる、しかしそれはけして表面的なことだけではない。可愛いとはあくまで総合評価です。これ、来週のテスト出しますので覚えておいてください。



それにしても正論って気持ちがいいですよね。間違っていないから安心ですね。でも、正論って一体なんなんでしょうか。

私は、正論とは、多分誰でも使えるユースフルでユーティティーな最強の剣みたいなものだと思いますね。覚えてしまえば誰にでも簡単に使えます。誰が使っても等しく正しく間違えない。それが正論です。しかし、逆に言うと、ただそれだけのものです。

なぜそれを使うのか、何のために、何をもたらすのか、何が生じるのか。
本当に重要なのは、絶対安全最強無敵のその盾あるいは剣そのものではなく、それを使う理由、意図、想いの方です。

正論は誰にでも使えます。簡単に借りてこられてそのまますぐに使えます。それでいて切れ味抜群です。これを防ぐ術はありません。だから正論を振り回して壊して歩くのは簡単です。たとえ眼前に行く手を阻む大きな壁が立ちふさがったとしても、絶対に正しいんだから迷うこともありません。何も考えずただ信じて壊して進めばいいだけ。簡単です。

簡単だから価値がないというわけではありません。ただ正論が正しいのは当たり前で、本当に必要で重要なことは、その剣を振るう側にあるはずなのです。
だからもし、あなたが正論を手にして進むときには、その正論で自分は何をしたいのか、どうしてそんなに楽なのか少し考えてみてください。
逆にもし、あなたが正論に斬りかかられた時には、その正論で相手は何をしたいのか、何を得たいのか、少し考えてみてください。たいていの場合、何も分からずに終わります。仮に分かったとしても、残念ながらその斬撃を防ぐことはできません。結局斬られます。ただ、斬られても死にません。斬られた代わりに自分自身のレベルがちょっぴり上がったり下がったります。

レベルが上がってどんないいことがあるのか。私にも分かりません。何もないかもしれません。ただ、借り物の正論を得意げに振るい続けている人と、斬られつつも立ち止まって考えたことのある人を、なんとなく見分けられるようになります。だからなんだよって話です。意味わかんないです。でも、そういう人をふと見かけたときに、おっ、この人はって思います。いやだからそれがなんなんだよって話です。ほんと意味わかんないです。
そして次第にレベルが上がってくると、正論はっぴーAlways無敵状態な人に対して、正論の盾を貫通するかもしれない極めて微小な威力の攻撃が撃てるようになってきます。しかし正論装備中の相手は無敵であるため、嫌がらせ程度の威力しか与えられず、結局斬られます。

ただ、そんな些細な攻防を見ていた未武装の第三者、あるいはまだ完全な支配を受けていない装備者がそれを見たときに、ひょっとしたら何かを思うかもしれません。分からせようとするとだいたい失敗します。相手を倒すことを目的としない戦いもまたあるんじゃないかと思います。

その先は知りません。でもきっともともとの能力が高い人なら、より出世できると思います。人をまとめる立場になったときに多分その威力を発揮しまくります。必要な技量を身につけていれば他より少し深い味わいの小説とかも書けるかもしれません。少なくとも私には無理です。


つまるところ、正論なんて正露丸と一緒です。ええ、便利なもんですよ。だいたいそんな感じです。








…っとまぁ



こんな感じです!!

このブログはだいたいずっとこんな感じです!!!






そんな感じのアレですが、改めましてよろしくお願いします♪