雪だるま
雪だるま。昔はよく作ったけど。
最近はさっぱりだ。
今年の冬も子どもたちが公園に大きな雪だるまを作っていた。
実家に帰った時も花壇の横に小さい雪だるまが置いてあった。
なんでだろう。
雪だるまを見ていると無性に切ない気持ちになる。
まだ溶けてもいない雪だるまを見て、悲しくなるのはずるい先周りなのかもしれない。
パッと消えてしまうならまだいい。
雪だるまはゆっくり溶けていく。
少しずつ少しずつ溶けていって、
次第に汚れが目立ってきて、
顔が崩れてきて、ある朝ついに倒れて、
汚れた氷の塊になって、
その頃には作った子どもたちも雪だるまのことなんて忘れて、別のことに夢中になってる。
それが、自然の当たり前を見ているようで。
古いものから新しいものへ興味が移っていくのは進歩するための前進で、
綺麗だったものが少しずつ汚れていくのは人間にも景色にもありふれた自然な光景で。
分かっていても、悲しいような寂しいような気持ちになる。
それはある意味、人間の営みそのもの。
ずっときれいではいられない。
成長と老いは多分、同じ直線の上にある。
まだ完成もしていない雪だるまを見て物悲しくなるのは、やっぱり滑稽な先周り?
本を閉じて、ハイおしまい
それで終われない現実を見せられるような。
そんな痛みも少し。
横に倒れてすっかり汚れて小さくなった雪だるまは、ただ現実を見せる。
来年の冬。きっとまたそこに雪だるまはいる。
やっぱり雪だるまは切ない。