墓参り
冬と夏、年に2回。
石の前に立って無言で手を合わせるだけの作業。
自分にとって墓参りとはそういうものだった。
周りの大人たちが手を合わせている間何を思っているのか、なんてことを考えたことはなく、それがまだ自分が知らないものであるということに気付きもしなかった。
「いつか分かるときが来る」
そんな上からの言葉に反発することに一生懸命だった。
今だって知らない。
でも、ここまで生きて、やっと気付いた。
その意味に。
その無言の中の言葉に。
まだ失っていない。
この先周りには意味はない。
理解するには及ばない。
それでいいんだ。
先周りして待ち構えられるものじゃない。
10分の演奏を5分で聴くことはできない。
初めてがどんなに取り繕っても、他から見たらそれは「初めてが取り繕っている」姿でしかない。
それでいいんだ。
それが今の自分なんだから。