いつかの現在地

2019/8/30引越し

考えるのだ少年、ふははは…とは言うけれど

 
 
悩む、迷う、考える

それらは表現が違うだけで中身は同じ。


悩まない人間は強い。
迷わない人間は強い。
考えない人間は強い。


現代の若者はダメになったのか。


違う。

悩み迷い考える機会が増えただけ。


インターネットの普及。
グローバル化


巨人、大鵬、卵焼きの時代にはなかった。情報ツール、インターネット。

多様化する価値観や文化、興味関心。
当たり前とされてきた道徳や常識ですら確たるものではなくなった。

様々な考え。様々な主義主張。揺らぐ正しさ。


答えが一つに定まらず、溢れている情報の海から、
見えていない部分を探りながら、
安定して留まれる答えを模索し続ける。


しかし、どんなに情報が豊潤に溢れていようと、人間の能力の限界は上がらない。
情報はリアルタイムで膨らんでいく。

すべての情報を正しく整理し真の正解を導き出すということは不可能だ。


だから、どこかで妥協するようになってる。

人間の認知機能は100%の精度の解答を求めていない。
完璧な客観性も必要ない。

錯視、偏見、思い込み。
人間の歪められた認知機能は、日常でもいたる所に見られる。


ヒューリスティック

「100%の正解」ではなく、
「良さそうな正解」を得ることが、種が生き残る上でずっと有効だった。
それで十分だった。


だから、人間は真に正しい理解ができるようには出来ていない。

必ずあるところで妥協する。



例えば、その主たるものが「宗教」

用意された答えを信じ、
ある点において考え悩むことを省くことで、
その分の時間とエネルギーを、学問や他のことにつぎ込める。生きていける。

キリストが本当に実在したのかとか、そんなことはどうでもいい話で、
それによって苦境の中でも生き抜いてこられたこと。

それが一番大きな意味だった。


歴史を振り返ってみても、それが原因で争いになったことは枚挙にいとまがないが

少なくとも宗教というものには、悩み考えるエネルギーを制限するメリットがあるのである。





考えることは確かに必要だ。

しかし、

考えることに費やすエネルギー。
迷い立ち止まっている間に過ぎていく時間。


疑いもせず、信じ込み、思い込んだまま突っ走ってる人間の強いこと。



今の若者が立たされているのは、
どうせ正しい答えは見つからないが立ち止まって考えなければならない、
きっとそんな場所だ。













・・・なんて、
ウトウトしながら考えてたけど、

「今の若者」なんていう区切りをしている時点で、それこそ思考停止だよなぁ。


全然考えずに元気に突っ走ってる若者もいるし。
そうじゃない年配の人だってきっと中にはいるんだろうな。

だいたい「今」と「昔」って分け方がザックリしすぎだ。
歴史の知識も大してないし。
宗教の成り立ちとか基本的なことを知らないし。一応世界史取ってたのに…。
(えーとイスラム教で食べてはいけないのは豚肉だったっけ?いや、なんかもっと複雑だったような…)



ただ、なんでもすぐに「今の若者は―」「ゆとりが―」とか言って、
自身が与えてきた迷惑や犠牲に気付かずに、
下の人たちを軽んじ笑って安心している人たちに落胆しただけ。



でもまぁ

生きる意味とか、人とは何かなんてことをずっと考えていて、
深ーい考察を持っている人なんかより、

車が運転できたり、料理ができたり、仕事ができる人の方がずっと役に立つし、
社会の中で生きていけるっていうのは確かだろうなぁ。