いつかの現在地

2019/8/30引越し

過去7

高校3年。受験生だ。


周りの受験生と比べて自分は少し異質だった。


夏休みの間も学校で補習が行われる。冷房も入っていない暑い教室で、友達たちとこれができたできないと言いながら勉強するのはとても楽しかった。点が上がった、それ昨日やってできるようになったと、喜ぶ友達を見ているのがすごく楽しかったしうれしかった。家に帰れば畑の水をやったり、言い争いの仲介をしたり。



自分の勉強時間が一般の受験生と比べても足りてないことは分かっていたし、授業やテストや模試で分からない部分は多くて、自分がまだまだ全然だとも感じていた。
だから、テストの結果も模試の判定も、それが低ければ今の自分に相応の点数だなと心地よかったし、逆に思っていたよりも出来た結果が出た時もまったく本気にしていなかった。理解しきれずに選んだ解答が合っていて良いのは本番だけ。自分に0点をとらせる問題は教科書の内容の中から平気で作れる。



年に1人東大に行った人が出れば大きな話題になるくらいのレベルの進学校で、真ん中より少し上くらいの成績。英語の授業でこれを訳してと当てられても、先生のフォローなしで答えられることはほとんどない。実力テストも平均程度。
その程度の実力でどうしてそんなに悠々としていられるのか。


簡単だ。受験勉強は楽しかったからだ。
それは楽しいと思える程度の時間しか勉強していないということもある。答えがそこに用意してある問題だということ、やるべきことがはっきりしているということもある。しかしなにより、自分がみんなと同じように受験生をやっているということがうれしかったのだ。


今までは皆のように高校生らしいと思えるようなことがなかった。と、少なくとも自分の中では、そんな思いを抱き続けてきた。それが、今はみんなと同じように同じ方向を向いて同じ方向を見ていられる。それがとてもうれしかったのだ。


正直言って結果など重要ではなかったのだ。冷静に自分の勉強不足を理解しつつ、受験生そのものを楽しんでいた。友達たちの喜怒哀楽する様子を楽しそうに眺める傍観者。それが高3の自分だった。