いつかの現在地

2019/8/30引越し

アンチアンチ論

  
ネットの評価とか、他人の意見とか。「そんなの気にするな」とか言っても、
そういう意識を持って向かわなきゃいけない時点ですでに影響を受けていて。
  
先日、好きな作品がネットで叩かれてしょんぼりしてる同僚の姿を見ていて、思うところがあったので。
 
わたしなりの対アンチ論
アンチアンチ論をまとめておきたいと思います。
 
 
 
 
1 正論との戦い方
 
アンチと戦う上で「クソ」とか「ゴミ」とか言ってるだけの浅いものはスルーできても、「確かにそうかもしれない」「合ってるっぽい」ことを述べている意見がやっかいなのではないでしょうか。
 
例えば、  
・心理描写がなさすぎて感情移入できない
・展開が急すぎて意味不明
・○○なのに、××とか矛盾してるだろ
・話がワンパターンでつまらん
・作画が酷すぎ
・円盤の売り上げwww(数字提示)
 
みたいな、一見正論っぽいアンチが強敵なのではないでしょうか。
特に、具体的な数値を出しながら意見してくるアンチが非常に難しいです。
 
果たしてこの手ごわいアンチたちとどうやって戦うのか。私の答えはこうです。 
 
 
戦えない。戦う必要がない。
  
そんなの戦っても意味ないです。つうか勝てません。
 
そういう冷静っぽいアンチは大概正しいこと言ってます。
相手の間違いや思考の穴を突こうとか、がんばって反論しようとするだけ無意味です。
  
 
食べ物で考えると分かりやすいです。 
 
例えば、私は納豆が好きです。
そこに誰か納豆がめっちゃ嫌いな人(納豆アンチ)が来て、
  
「臭い!」「腐ってる!」「ネチャネチャする!」
と声高に主張したとします。
 
さて、上の納豆アンチの言い分が間違っているかというと、別に間違っていないです。だいたい合ってます。
そして、その間違ってない納豆アンチの意見によって、自分の「好き」が脅かされるかと言われると、別にそんなこともありません。
 
何が言いたいかというと、結局のところ
好みの問題でしかない。ということです。
  
上とか下とかじゃなく、優とか劣とかじゃなく。
自分が好きか嫌いかというだけの話だということです。
 
「臭い」と感じるか「匂い」と感じるか。それも人それぞれです。
 
例えば、ある友人はお刺身が食べられないし、カレーが大嫌い。
じゃあ、果たしてそれを持って刺身はゴミ食べ物か、カレーはクソ料理か否か、などという議論はほんともう無意味です
 
誰かにとっては美味しい。誰かにとっては不味い。
別にどっちも嘘なんかついてない(重要)
 
なのに刺身とカレーどっちが良い料理か悪い料理かなんて考えるだけ無駄です。
 
 
ただし、これが料理人(作品の提供側)ならば、話は別です。
提供者は、よりたくさんの人に好きと感じてもらえるものを探っていかなければなりませんが、
ただ、それを食す(見る、読む、享受する)側なら、そんなものは些細なことです。
(円盤の売り上げが2期制作に影響するとかグッズ展開の有無とかぶっちゃけ関係ある)
 
他100人がクソまずいと評したスープを、自分は飲んで美味しいと感じました。
わざわざ他人に合わせて「まずい」と感じなきゃいけない?思わなきゃいけない?
 
そんな必要があるでしょうか。いやない。(病院にいく必要はあるかもしれない)
 
  
自分が美味しいと感じるもの。好きだと感じること。
享受者として、それ以上に重要なことなどありません。
 
 「好き」「嫌い」「つまらない」「おもしろくない」だけならそれは大した問題ではありません。「好き・嫌い」と「良し・悪し」は別のフィールドです。
 
だから別に、アンチの言い分が正しくてもいいんです。
 
なのに、アンチ相手に一生懸命相手の間違いを探そうとするから、ただの煽りや考え不足のアンチは撃退できても、正論持ちこんで向かってくるアンチに対して、ぐぬぬ…ってなって。
しまいには、「嫌なら見なきゃいい」とか、「たかがアニメに何ムキになってんの」みたいな、しょぼい論点ずらしで逃げなきゃいけなくなります。
 
アンチに自ら戦いをしかけていくメリットなんてありません。
いくらアンチを撃破しても自分の時間とエネルギーを消費するだけで「好き」は1ミリも増えません
 
それどころか、アンチを倒しに行っている間、出された料理はどんどんぬるく、冷めていきます。そいつをぐぬぬ…させることにどれだけの意味があるのか、一度立ち止まって考えたらちょっとだけ冷静になれます。
 
  
正論との戦い方まとめ
 「あーなるほど確かに。でも、私は好きです。」(完)
 
これで終わりです。
 
良い悪いの議論ならともかく、そいつがそいつの味覚で好きって言ってんだから、もうそれ以上どうしようもないです。
 
とはいえ、わざわざ自分の目の前に立ちふさがって食事の邪魔してくる暇な人もいるかもしれません。
その時は、視界に入らないようにする(ブロックする)とか、店員さん呼んで追い出してもらう(通報する)とか対応する必要はありますし、場合によっては戦わねばならないこともあるかもしれません。
 
ただ、少なくとも、
自分と違う考えを持った人を見かけるたびに、わざわざ自ら戦いをしかけていく必要なんて1ミリもありません。
 
ましてや、ただすれ違っただけの人を呼び止めて、その人の気持ちを自分と同じに修正することに何の意味もない。互いの時間の無駄です。
 
自分が食べて美味いと思ったラーメンを、どうして隣で食ってただけのやつに「このラーメンは絶対に不味いんだよ!お前も不味いって言え!思え!」って強制されなければならないのか。矯正させられる必要もないし、そんなこと言われる筋合いもない。
 
それでも、中には 
「このラーメンは絶対不味い!みんなそう言ってる!お前の味覚はおかしい!どうかしてる!異常だ!!」
 
って食べてる間も食べ終わった後にまでわざわざ粘着して絡んでくるような人もいるかもしれません。
 
その場合はもうおかしいのはラーメンの味ではなく自分の味覚かその人の頭かのどちらかなので、もはや論点はラーメンの味ではありません。お店の外に出て救急車か警察を呼びましょう。
 
 
 
 
2 そうは言っても簡単に割り切れない
 
は?それじゃあ、何? 
 
美味しかったら美味しいって言っていいけど、不味かったら口に出さず我慢しろってことか?
自分が感じることが一番大事とか言っておきながら??一切批判するなと??いいか、良い批判というのは作品の質を高めr(略)
 
 
「嫌い!」とか「面白くない!」って言っちゃいけないのか。
 もちろん、そんなことはないと思います。
   
美味しいって言うのと同じように、不味いって言う権利はあります。
 「つまらない」「嫌い」「面白くない」って言う権利は絶対にあります。
 
上で長々言ってきたとおり、自分は「不味い」と感じたのに他人に合わせて「美味しい」って矯正される筋合いだってないんです。別に全然言っていいと思います。
 
 
でも、例えば、偶然それを聞いていた、実はそのラーメンが大好きだった友達からは、次からはもう一緒のお昼に誘ってもらえなくなるかもしれません。
 
だって、せっかく食べるなら一緒に美味しいって、同じものを好きって言ってくれる思ってくれる人と美味しいねーって楽しいねーって言いながら一緒に食べたいもん。
 
 
でも、はたまた逆に考えれば、本当は好きだと思っていないのに好きだと言って相手に合わせて、それで本当に自分も相手も楽しいのかなという疑問もあります。
 
ならば、初めから正直に、実は私はそれが好きではありません。とはっきりと言ってしまった方がいいのかもしれません。
 
  
とは言え、自分が好きなものを「嫌い」とか「面白くない」って言われたら、やっぱり嬉しくないし良い気持ちもしません
 
そりゃラーメンの味程度の話なら別にいいよ。
でも、自分が本当に心から「好き」って思ってるものを「嫌い」って言われたらそりゃ嫌な気持ちになるでしょ? そうですね、当たり前です。
 
 
↓ ネットでよく見るやつ
A「そんなに嫌なら見なきゃいいのに」
B「(嫌って言ってる意見を見るのが)そんなに嫌なら見なきゃいいのに」
 
ぶっちゃけ同じです。不毛です。
 
否定的な意見をどんどん見たいなんて人はいません。嫌なものは嫌なんです。
 
だから例えば「本当はあまり好きじゃないけど、好きな人が聞いたら嫌な気持ちになるだろから、わざわざ言う必要もないよな」とか。
もっと直接的に「好きだって言ってる友達と仲悪くなりたくないし黙っておこう」とか。
「「嫌い」より「好きじゃない」って表現の方が配慮があるかなぁ」とか言い方に工夫をしてみたりとか。
 
  
自由です。
 
「楽しい!美味しい!好き!」 って言うのと同じように
「面白くない!不味い!嫌い!」 って言う権利はあります。
  
でも、「嫌い!つまらない!!」って言ってる人の周りからは、それが好きな人たちはどんどん離れていくだろうし、
「最高!大好き!!」って言ってる人の周りには、同じように好きだと思う人が集まってくるだろうし、私だったらそんな人とお話したいなって思います。
 
どっちを選ぶか、ただそれだけの話です。
 
言っちゃいけないとか正直に言うべきだ、とか。
どっちが正解、不正解なんてありません。
 
「俺は自分に正直に生きるぜ!自分に嘘はつかない性格なんだ!!」
って、嫌いなものを嫌いだと口にするなら、好きな人たちと仲良くなる機会はどんどん無くなっていくよって。ただそれだけの話なんです、きっと。
 
そして、最初の話に戻りますけど、結局のところは、
 
そんなたくさんの一人の「不味い」と「美味しい」の感想を受けて、どう変えるか変えないか、次どんな味付けにするのかは料理人(作り手)が判断すれば良いんです。
 
 
結局、誰だって好き嫌いはありますし、てことは誰だって心に必ずアンチを持っているわけで、あとはそれを外に出すか出さないか、それだけの話です。

大好きだったものに裏切られたと感じたら、悲しくて悔しくて一言物申したくなるし、物申せば同じように感じている人から共感や同情の反応があるかもしれないしって思うし、
自分が面白くないと感じたもので周りが面白そうに盛り上がっていたらそれはやっぱり何か面白くないし。

だからこれは、「聞いた人が悲しむから悪口は言っちゃいけませんよ」っていう道徳の授業ではなくてただの取捨選択です。
 
だから、自分で選んで「嫌い」と口にしたはずなのに、今度はそれを好きな人たちに「でもどうか僕のことは嫌いにならないで!」って振舞ってる人を見るとどっちだよって思います。
 
別に自由です。
 
 
 
 
3 私の考える「アンチ」アンチ論 まとめ
 
正しさなんて関係ない。大事なのは自分の気持ち。
でも、「好き」も「嫌い」も自分の気持ち。
 
他人の味覚は関係ない。
でも、この「好き」せっかくなら誰かと共有したい。
 
否定的な意見はなるべく見たくない。
でも、その「嫌い」もきっと誰かの自分の気持ち。
 
 
はい、何も解決してませんね。
 
結論。アンチは絶対に無くなりません
好きって思いを肯定しつつ、嫌いだけを否定することは多分無理です。
 
そう。忍者戦隊カクレンジャーの最終話で人間の憎しみから生まれたラスボス妖怪大魔王を斬らず倒さず心の封印の扉の奥に押し込めたように(例えが古い)
 
私たちの心の中からアンチを完全に消し去ることはできないのです。
 
  
だからなおのこと、こう思うんです。
 
自分の「好き」を一番大事にしようって。
自分の感じた「いいな」とか「好きだな」って気持ちを一番大切にしていこうって。 
 
 
嫌いって思っちゃいけないわけじゃない。
嫌いを言葉にするか発信するかしないか、それもまた自由です。
 
確かにアンチは無くならない。
だけど、正論で戦う必要はありません。
好きな理由はそこじゃないからです。
 
自分と違う相手の考えを修正する必要もありません。
好きか嫌いか好みの問題だからです。
相手の嫌いを否定しても自分の好きは増えません。
 
心と時間は限られています。
すれ違っただけのアンチなんか放っておけばいいんです。
 
 
あの人が嫌いだと言っても私は好きなんです。
あの人がクソだと言っても私にとっては宝物なんです。
でも、私にとっての宝物はあの人にとっては多分本当にクソなんです。
 
でも、あの人にとってのクソでも、それはもともと私の宝物なんです。
 
 
気にするなって言ってもきっと無理です。
でもだからこそ、そんなアンチと剣を交えている時間があったら、「自分の好き」を少しでもひとつでも伝えてほしい。 
 
1年後、2年後、10年後、同じ自分でさえずっと同じものを好きでいるとも限りません。でもだからこそ、いま自分が好きだと感じるものを、声に言葉に形にしてほしい。
 
 
いま、自分が好きだと感じたこと、いいなと思ったこと。
それ以上に大切なことなんてありません。
 
 
だからその気持ち、一番大切にしてください。
そんな、自戒を込めて。
 

いつかの現在地

 
 


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学生時代、日記を書いていた。
 

中学、高校、大学と。約10年間。
 
学校に提出するわけではなく、誰に見せるでもなく。
勉強するよりずっと机に向かって、毎日、日記を書いていた。
 
 
本当は、ただの日記ではなかった。
 
 
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遺書だ。
 
これは、読み手に復讐するための遺書だ。
 
 
 
小学生の頃から家族の仲は悪かった。
 
喧嘩はしょっちゅう起きていたし、罵声が飛び交い、扉を叩きつける音は毎日聞こえてきた。祖母が怒鳴り、祖母が殴り、祖父が怒り返し、悪者は祖父になった。
 
正義の濫用と数の暴力。歪みのスパイラル。
 
自分自身も何度も理不尽に晒された。ドッチボール大会で優勝して帰ってきたときは「一日気楽に遊んでいられるのは誰のおかげが考えろ大馬鹿者が」と叱られて泣いた。
 
飛び交う罵声と悪口が怖かった。祖母の機嫌を伺い、不仲を恐れた。
 
 
中学のクラスが大好きだった。高校生になって手にした自由にはあまり興味がなかった。部活には入ったけど居心地は良くなかった。高校1年はあまり楽しくなかった。
 
家に帰れば祖母が怒鳴り、祖父が怒鳴り返し、母が巻き込まれ、父は無関心だった。
勉強に集中しなくてはいけない兄と、口数を減らす妹。
 
理想どおりに上手くいかない自分と、壊れそうな家族。
きっとかみ合ってしまったんだと思う。
 
僕は家族の緩衝材になることにした。
 

部活を辞めて、放課後はすぐに家に帰った。家族と一緒にお茶を飲み、愚痴を聞き、畑の手伝いをし、怒りをなだめ、争いの原因を探り続けた。でも罵声も争いもなくならなかった。大人たちは喧嘩を止めなかった。
 
部活、勉強、バイト、遊び、恋人。

周りから聞こえてくる高校生らしいフレーズに、憧れ、嫉妬し、劣等感と自己嫌悪を繰り返した。自分にはないもの。人とは違う。家の緩衝材?誰にも理解されない。
 
落ちていく成績。認めてもらえない苦悩。誰にも伝わらない努力。なのに求められる期待、高校生一般の話題。笑顔で聴いて、一人で泣いて、明るく返事をして。
 
限界だった。辛かった。どうして自分だけがと思った。自分がこんな思いをしているのに、大人たちは分かり合わない。譲り合わない。勝手にキレて、壊して壊されて。
 
 
死にたいとはときどき思っていた。消えたい、出ていきたいとは毎日思っていた。
 
でも、自分から死ぬ気はなかった。でも、ずっとそう思い続けられる自信もなかった。
でも、家族は大切だった。大切だからこんなにつらかった。
 
 
だから、残すことにした。日記に。

分かり合わない家族たちに、お前たちがしてきたことの結果がこれだと。
お前たちのせいで僕は苦しみ、死んだんだと。
 
だからこれは、いつか残された家族が目にするはずの、遺書だった。
 
遺書のはずだった。
 
 
 
遺書だったのは本当だ。でも、それだけじゃなかった。

この積み上げられた日記帳には、もう一つの想いが込められていた。
 
 
この世界、広い世界にたった一人だけいた。
自分のことを知っている人が。

この想い、この苦悩を分かってくれるかもしれない人がいた。
 
 

僕だ。未来の僕だ。
 

だから書き続けていた。
 
死ぬ気もないのに、消えてしまいたいと思って。
早く終わってしまえばいいのにと願いながら、自分で終わらせる気はなくて。
 
自分から死ぬ気はない
なのに遺書を書き続けていたのは、未来の僕なら分かってくれるかもしれない。
 
そんな希望があったからだ。
 
過ぎてしまった痛みや苦しみが、それを体験したはずの自分にさえ、全部は伝わらないことは経験上分かっていた。でも託した。残したかった。お前にだけは覚えていて欲しかった。
 
 
それから、僕はまだ生きている。
あれから7年が経って、まだ、こうして生きている。
 
 

すべてを乗り越えてきたわけじゃない。
簡単でもなかった。
 
抑えきれない怒りも悲しみも、ぬぐい切れない未練も後悔も、ぶり返す無気力も手放したはずの心残りも、やっぱりまだ残っている。
 
でも、僕は生きている。
 
 

大学生時代、生き続けるだけが全部で、すべてが面倒くさくて、とにかく一人になりたくて、何も知らなくて、何もほしくもなくて。
 
でも助けたくて、だから心理学部に入ってでもそれは原因や現象を説明するものであっても解決できるものなんかじゃなくて。
 
長期の休みはほとんど実家に帰って。実家に帰る時には部屋は綺麗に整頓して。残った命を使い切るつもりで。いつ終わってもいい、そんなつもりで。
 
そんな内向きな自分を変えたくて初めてチャレンジしたコンビニのアルバイトは、あまりに使い物にならなくて、たった一日でクビになった。
 
車の免許を取るのが死ぬほど嫌だった。誰かを傷付けてしまうかもしれないことが嫌だった。いつでも事故に見せかけて死ぬことができてしまうことが怖かった。
 

社会人になって。
 
やっぱり欲しいものはなくて、やりたいこともなくて。社会や世界に興味もなくて。
周りの話についていけなくて、ただなんとなく合わせて笑っていて。
学生時代と同じ自問自答。人とは違う。周りとは違う。やっぱり僕は、僕は?
 
それでもいいや、って。
 
人と同じじゃなくていい。違ったままでいいやって。
なら、人とは違う、こんな自分だからできることをしていこう、って。
死ぬまでの間。せめて、自分の周りの人一人でも多くの人に一つでも多く楽しいって思ってもらおうと思って。
 

サークルにも属さず、バイトの経験もなく、敬語の使い方も知らなければ、飲み会の予約の仕方さえ分からない。頭も良くないし、知識もない。
そんなことも知らないの?こんなことも出来ないの?って言われるし、自分でも思う。
 
でもそれ仕方ないやって。
 
そんなことも知らないし、こんなこともできない。
これまで今まで人よりやってこなかった分、出来ないのは仕方がない。出遅れてるのはしょうがない。
なら、自分は自分のレベルで、ひとつずつ出来ることを増やしていこうって。
 

そうやって、
過去の自分たちに支えられ、いろんなものに力をもらい、自分に関わってくれた人、もの、音、景色、全部のために、少しでも価値ある自分になろうと思って。
 
そうやって、一歩一歩。
きっと人から見たら、そんなこと?って言われるようなことを、ひとつずつ。
 
ひとつずつ。
そうやって、辿り着いたのが今で。
 
 
今だって、いつでも少しでも、出来るようになろうと思って全力で頑張っているけど。
 
もらったマニュアルは何回読んでも覚えられないし、真剣に聞いてるのに理解できないし、電話の相手の所属と名前は聞き取れないし、会議の資料は間違えるし、人前でしゃべるとなるとカチコチに緊張するし、人に話しかけるだけで緊張するし、いつまで経っても車庫入れは下手くそだし、相変わらず飲み会は苦手だし、いつも必死で余裕がなくて。
 
頑張ってはいるけど、なかなか上手くいかなくて。
 
 
理解力も、記憶力も、視野の広さとか。
能力の限界を感じたり、自分の天井が見えてしまったり。
 

何より、割り切ったつもりでも、乗り越えたつもりでも、自分の根底にある「死ぬまでの間」という未来への諦めと、「自分は人とは違う」という過去の呪縛が、どうしても足を引っ張ってしまう。
 
仕事や日常の人間関係は、一生懸命頑張って追いすがることができても、
本心では興味がないから、聞いているふりや頑張っているふりで終わってしまって、深いところまではたどり着けない。
何かを好きになることはあっても、誰かを巻き込む覚悟は決められない。
 
 
 
人と違ってしまった自分にできること。
 
「一人でも多く、一つでも多くの楽しいをまき散らして終わりたい。」
 
 
それは、前向きで後向きな原動力だ。
 
いつ終わるか分からない、まだ終わるかも分からない花火をいまも毎日打ち上げ続けている。
 
 

足を引っ張り続ける過去の呪縛。

うすうす気付いてはいた。あの時と同じだ。
 
9年前、このブログを始めたきっかけ。
遺書を書き続けることに疲弊して助けを求めた「ターニングポイント」
 
 
このまま終わりを待ち続けるか、それとも生き始めるか。
 

今度こそ、選ばなくちゃいけないときが来ているのかもしれない。
 
家族での僕の役割はだいたい終わった。
そしてそう遠くないうちに、きっと一つの終わりを迎える。
 
そしたらもう、諦念のピエロでいる必要はない。
 
 
別に捨てるわけじゃない。なかったことにするわけじゃない。
 
でも、続けなくていいのかもしれない。
もう、手放していいのかもしれない。
 
まだ、自分は欲しくないままなのか。
それとも、過去の自分から受け継いだものを無理に続けようとしているだけなのか。
 
 
分からない。
分からない?
 
 
過去の呪縛、未来への諦め。
 
本当にそうなんだろうか。
まだ、もう少しだけ、自分のことを信じてあげてもいいんじゃないだろうか。
 
過去の呪縛とやらに足を引っ張られたまま。
未来への諦めすら握りしめて、全部背負って飛び立っていける。そんな方法が、まだ。
 
 
失敗、限界、あきらめ、捨てたもの、もう戻らないもの。
後悔、嫉妬、不安、劣等感。
 
完璧じゃない天才じゃない
慣れない出来ない自信もない限界まみれのこの自分に。
 
この自分にも。
この自分にだからこそ。
この自分にだけたどり着ける場所が。そんな場所を。
 
 
 
 
よりよく生きる。好きを形に。今まで全部に応えるために。
 
 
目指して、立ち止まって、引き返して、また歩きはじめ続ける。
 
あのときも、今も、これからも。
 
 
 

「いつかの現在地」

 
 
 

GW2019の思い出

 
 

 
 どこか遠くへ旅行に行ったわけでもなく、引きこもっていたわけでもなく。
 一週間も経てば何をしてたのか思い出せなくなってしまいそうな歴史的10連休。
 
 そんな、間もなく終わろうとしている「私の2019年ゴールデンウィーク」を後世の自分たちに残すため、以下のとおりまとめました。

 



〇連休初日(4月27日)

午前中はお仕事、お昼は飲み会(私は車だったのでソフトドリンク)
帰ってきたらもう午後3時。

いつもならそのまま寝て終わりそうなところでしたが、

今シーズンの俺は一味違うんだぜ!という姿を見せつけるため(誰に)、一度は堕ちかけた布団大魔王の誘惑を断ち切り、ひとり車に飛び乗ってとなり街までお出かけしました。

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松本市アルプス公園
 
 
ちょうどこのゴールデンウィーク中、松本市内のどこかの公園で「信州花フェスタ2019」というイベントをやっているという情報は聞いていたので、
 
じゃあちょっと見に行ってみるか。と、
「公園」と書かれた道路案内に釣られて、ふらーっと立ち寄った丘の上の公園。
 
結論から言うと、この公園は花フェスタの会場じゃありませんでした。(おい)
 
なぜなら、先月末の引っ越しに伴うWIFI環境整備の遅れにより、私のスマホは4月中旬からすでに通信制限なう状態であり、地図検索しようにも外出先ではまるで使い物にならなかったのです。
 
似たような名前の公園がいくつもあるのもずるいよ!
 
 
 
 
しかし、出迎えてくれたのは、ご覧の通り、目が覚めるような絶景でした。
 
雨上がりの澄んだ空気に青空と北アルプスが映えて、遠くまで広がる街並みに映る雲の影のコントラストが本当に綺麗でした。
 
人も少なく、意外と穴場な絶景スポットなのかもしれません。
 
 
さて、素敵な出会いに感謝しつつ、向かったのは街の映画館です。
 
そもそも街まで出てきた理由は、今話題のコナンの最新の映画「名探偵コナン 紺青の拳」を見るためでした。
 
普段、それほど熱心にアニメやコミックを追いかけているわけではありませんが、ちらっと見たPVに惹かれたのと、私の中で「コナンの劇場版は絶対に面白い」という謎の確信めいた信頼感があったので、ネタバレを食らう前に見ておきたかったのです。
 
前日にちょうど、金曜ロードショーで前作のゼロの執行人を見てしまった余韻もあったと思います。
 
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映画館経験が一桁ほどしかない人間なので、チケットの購入方法とか入場のタイミングとかも良く分からず、映画館というこの空間自体に新鮮なドキドキを味わえます。
 
映画館のポップコーンってどうしてあんなに魅力的なんでしょうか。
ポップコーンとコーラを片手に映画鑑賞。憧れます。
 
しかし、GW中、実家に帰れば絶対にいつもより摂取カロリーが増えることを分かっている私は、ここはぐっとこらえて宇治抹茶入り緑茶のRを購入しました。えらい。
 
ちなみに、お茶を注文する際、
「サイズのSとLは分かりますけど、Rって何ですか?」
などと素人感あふれる質問をしてしまったところ、
 
「ふふっ、レギュラーのRですよっ!」
と笑顔で返してくれた店員さん。素敵でした。ありがとうございました。
 
たったひとつの笑顔で誰かを幸せにできる。僕もそんな接客ができる人間になろうと改めて思いました。(話題の脱線事故
 
 
 
 
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コナンの映画はやっぱり面白かったです。
 
ネタバレになるので内容については詳しく語れませんが、
 
私はコナンシリーズの
「めっちゃ頭良くて運動神経も良い有能オブ有能な身も心もイケメンな男たちがかっこつけすぎだろってくらいかっこつけていやさすがにそれは無理だろっていう無理でさえしかもかっこつけながら覆していく様を見せつけられて「あぁんかっこいいなぁもう!」ってなって最後にはちゃんと大団円していく」あの感じが大好きなので、今回の劇場版もすごくよかったです。(伝わらない)
 
あと個人的に、物語の舞台になっていたあの現実離れした超豪華リッチホテルが、現実に実在するってことが軽くカルチャーショックでした。すげぇなシンガポール。初めてちょっと海外行ってみたいって思いました。
 
 
 
 
 
〇連休二日目(4月28日)
 
 
地域の野球大会。5時半起床。眠い。
朝、車の上に霜が張っていました。寒い。
 
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太陽の周りに大きな輪っかが出来ていてすごかったです。(現象名不明)

試合には敗れました。
その後の慰労会が終わった時にはすでに午後5時を回っていました。

一日が終わった…だと…。


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やはりそのまま夢の世界へ誘われてしまいそうなところでしたが、「すみません、このあと車で出かける用事があるんで」と慰労会で酒を断ったのと、一刻も早く甜花ちゃんのソロアルストロメリアが聞きたくて、今日行かなくちゃと思い立ち、
 
引っ越し前の住所に届いてしまったシャニマスのソロコレクションCDを受け取るため、高速道路を使って3時間以上かけて遠く離れた佐川急便の営業所まで往復しました。
 
野球の疲れからか、インターチェンジで逆方向のレーンに進んでしまって次のインターまで無駄に料金を支払ったり、降りるインターチェンジを間違えたり散々でした。

ドジっ子じゃないよ。



〇連休三日目(4月29日)

部屋の掃除やお昼寝などをしました。
夕方、いろいろお土産を買って実家へ帰る途中、下道でも高速でも渋滞に巻き込まれ、到着したのは夜遅くでした。

ほぼ放置状態になっていたポケモンGOで色違いのリルルが孵りました。




〇連休四日目(4月30日)

平成最後の日、ということで世間はなんだか大みそかのような雰囲気。
物置の大掃除や古い木材の処分、タイヤの交換など、肉体労働に励みました。

夕方、平成ありがとう記念に畑の隅にハナモモの木を植えました。大きくなあれ

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これくらいなら10分で切れます。(どや顔ふんすふんす)

 

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おなじみ、大根(ダイコン)の花です。
おでんの具とは思えない可愛らしい花弁とちょっぴり混じった紫がとってもキュートでしょう?




〇連休五日目(5月1日)

しとしと雨降りでしたが、家族でお花見に行きました。
雨に濡れた八重桜も風情があってなかなか見事でした。

こうしてここに来れるのも今年がきっと最後特別な時間でした。

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連休六日目(5月2日)
 


父と兄と三人で、早朝からわらび採りに出かけました。

おじいちゃん家の田んぼの土手沿いに毎年わらびが出る場所があり、「誰かに採られちまう前に採ってくれ」とのじいじからの指令を受け、我々隊員は現場に急行しました。

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よく肥えたわらびがわんさかと。
 
わらび採り行くって言ってんのに、なぜか革靴で来た父や開始20分で飽きて監督役に回った兄をたしなめながらも、ビニール袋3つ分のわらびを収穫しました。大豊作。

 

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アバダ・ケダブラを唱えようとしたらシシ神様にわらびされてしまった魔法の杖みたいなわらびもありました。ハリーポッターもののけ姫のクロスオーバー)

そして、そのまま帰るのかと思いきや、

「おう、お茶でも飲んでいけ!」と立ち寄ったおじいちゃん家で、唐突に焼き肉そして宴会が始まり、家に帰ったのは夜8時過ぎでした。(なんでなん)

例によって私はハンドルキーパー。運転役なら絶対飲まされないから安心。

私は途中から宴会から離脱して、竹林を間伐したり、トカゲを獲ったり、やまびこで遊んだりしていました
 



 
 小鳥のさえずり、カエルの声、上空の飛行機の通過音など、こういう田舎の田んぼならではの音風景が好きです。




〇連休七日目(5月3日)

夜までお仕事の母を見送り、家事、畑その他。

昨日採ったわらびのアク抜き。
風呂場の灰をかけて熱湯注ぐことでアクを抜く、我が家の伝承されし技。

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一晩経つと結構やばい色が出ます。
何時間おきに水を替えてあげることでおいしいわらびになるそうです。
 
 
お昼ご飯は仕事で不在の母に代わって、父が腕によりをかけて作った麺伸びまくりスープめっちゃ薄いチャーシュー日が切れてるけど大丈夫ですか特製ラーメン

今度からは一緒に作ろうって思いました。ありがとうねお父さん。


午後は、祖母が好きな一口サイズアイスクリームを買いに出かけました。

 
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一瞬「おっぱい」に見えて、マジで疲れてるなって思いました。
 
 
 
 
〇連休八日目(5月4日
 
肉体労働ばかりでは頭が鈍ると思い、久しぶりにパソコンに向かいました。
 
近所の本屋で「花粉症は1週間で治る」とかいう煽り感強めなタイトルに惹かれて買ってきた書籍の内容を1ページ資料にまとめる練習をしました。
 
ほぼ読書しないうちの人たちもA4で1ページなら読むかも…。ということで分かりやすくまとめました。
 
一言で言うとタンパク質とビタミンDが重要だそうです。(雑ぅ)
 
若干眉唾でしたが、これで本当にアレルギーが治るなら試してみる価値はあるかと思いました。さっそくビタミンDのサプリを買ってきたので、1か月くらい続けてみようと思います。
 
午後は、父が畑をおこして私が肥料を撒きました。
 
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肥料と石灰は同時に撒いてはいけない。(後から調べて知った)
 
化学反応で臭いが発生したり、肥料の効果が落ちたりするようです。
知識ってやっぱり大事ですね。
 
 
 
〇連休九日目(5月6日)
 
兄が彼女を家に連れてくるということで、朝から掃除や買い物でドタバタ賑やか。
掘りごたつも今シーズンの営業を終了。
 
お昼ご飯は、調理師である妹監修の献立により、母と妹が二人がかりでいつもより気合を入れて作ったちょっと豪華なメニュー。
 
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料理できる人ってすごい(率直)

特に、エビマヨとからあげとグラタンと炊き込みご飯とすまし汁と山芋ときゅうりのわさび醤油あえと、てか全部おいしかったです。お二人にも好評でした。
 
最後の方はすっかり打ち解けて、気楽にくだけた話もしていましたが、
家族全員に包囲されてプレッシャーも少なからずあっただろうに、笑顔を絶やさない素敵な方でございました。
 
 
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兄と彼女の仲睦まじい姿にカメンホテプ3世も思わず顔をほころばせます。
 
幸せなふたりの将来を願うばかりです。
 
 
さて、お二人を見送り、自分もそろそろ帰り支度。
 
そんな折、駐車場の隅に見つけた四つ葉のクローバー。
 
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ちょっとハッピーな気持ちになりますよね。
 
 
そして五つ葉のクローバー
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幸せ度も1.5倍(当社比)。結構珍しいですね。
 
 
 
八つ葉
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いや多いよ。どんだけだよ。
私でも初めて見たわ。
 
 
そういえば、この後帰り道でパソコンを地面に落としましたが奇跡的に無事でした。
この葉っぱたちのおかげでしょうか。ありがとう。やつばのクローバー
 
 
 
 
〇連休十日目(5月6日)
 
はい、今日ですね。
 
午前中は、明日からの仕事の負荷を軽減するため、休日出勤して溜まっていたメールや書類などの事前整理。
それから帰ってきて、午後は少し昼寝した後昼寝して、なお昼寝をしました。
 
ちなみに明日は地域の早起き野球で5時グラウンド集合だそうです。(おかしい)
そのあとは普通に仕事です。(絶対おかしい)

マジでこんなブログ書いてる場合じゃありません。
一刻も早くお風呂入って寝なくてはいけません。
でもぶっちゃけお昼寝しすぎてあんまり眠くありません。

え、どうしよう。(まじで)

 


というわけで、この10連休
振り返ってみたら、何もしていないようで意外といろいろありました。

皆さんはどんなゴールデンウィークを過ごしましたか。

連休だった方、明日からまた頑張りましょう。
連休じゃなかった方、本当にお疲れさまでした。しっかり休んでくださいね。






 
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本日の金言
 
 

シャニマス1stLIVE DAY1に参加しました!

 
 
 
 
THE IDOLM@STER SHINY COLORS 1stLIVE FLY TO THE SHINY SKY
 
1日目に参加してきました!
 
 
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以下、その記憶が薄れないうちに。
 
私個人の感想など走り書きです。
 
いまさっき帰ってきて勢いのまま書いてます。
おかしなところとか絶対あります、駄文すみません。
 
 
 
 
〇公演開始まで
 
 
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例によって、私は地方から新幹線で東京駅、さらに京葉線へと乗り継ぎ、約4時間かけて今回の会場、舞浜アンフィシアターにたどり着きました。もちろん未踏の地です。
 
物販に並ぶ行列や、会場前に集結する奇抜で平凡で個性豊かな同業者たち(失礼)を見て、あぁ、本当に今日がライブ当日なんだなぁと改めて実感したりして。
 
 
私も、このライブ参加にあたって初めてアイマスのプロデューサー名刺なるものを作ってみたものの、日ごろのコミュ障を発揮し、全然まったく自分から交換しにいけず。
 
ひとりため息をつきつつ、そんな賑わいから少し離れた広場のベンチで、コール本読みながらライブの予習をしていたら、たまたま隣に座っていたPさんから「それどこで配ってましたか?」と話しかけていただいて
 
 
 
▼いただいたコール本有志の方々が作成配布しているみたいです。挿絵も可愛くてすごい。
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▼初めて作ったP名刺
 今までのアイマスタイトルでは、特定の誰かというより全員好き。全員自分の担当。っていう感覚でいたので、なかなか作るきっかけがありませんでした。  
 シャニマスは、283プロアイドル全員:好きレベル100、アルストロメリア:200(限界突破)みたいなイメージ。
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▼名刺の裏面
 白紙だと寂しかったので、自分の好きなアイマス曲の歌詞の一部を並べてみました。
 文字びっしりで秘密の日記帳みたいなヤバみを感じますね(おぃ
 ぜひ、君は何曲分かるかな?的な遊び方をしてみてください。
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そんな偶然がきっかけで、その方とたくさんお話しすることができて。
 
目標だった名刺もお渡しすることができて。(やったー!)
 
 
 
彼は、放課後クライマックスガールズ、特に果穂が大好きで、なんと今まさに青春を謳歌している現役の高校生のPさんでした。
 
「放クラの合宿コミュ、あれは最高だったよね!」
「あっ、実はそのコミュまだ見れていなくて…」
「そうなの?」
アイマスばかりしていたら、テストで酷い点数を取ってしまって…今はようやくミリシタだけは遊ぶの許してもらえたんですが、曲はたくさん聴いているんですが、シャニマスのゲームの方はしばらく遊べていなくて…」
「なんとぉ!!」
「いやほんと酷い点数だったので…」
「見て!!次のテスト100点取って絶対見て!!」
 
なんて、学生さんらしいエピソードなんかも聞けて、
 
 
 
▼ 放課後クライマックスガールズ 「五色 爆発!合宿 クライマックス!」
 この5人で本当によかった…と思える、最高に可愛くて尊くて愛おしいお話。他のユニットの担当Pさんも必見のコミュです。   
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今回の1stライブも、どうしても行きたくて、欲しいもの全部我慢して貯めたなけなしのおこづかいでCD5枚を買って、奇跡的にチケットを当てることができたという学生さんらしい話を聞いてほっこりしたり。
 
通っているのが男子校だから、ある意味フィクションみたいな放クラのキラキラ青春感に惹かれるんですよー。なるほどー、なんて。
 
 
「たなかさんはどのユニットの担当なんですか?」
「全員好きだけど、特に好きなのはアルストロメリアかな。マジ全員好きだけど」
ハピリリの可愛さやばいですよね!!」
「それな!!」
「ときめきノート♪は・じ・ま・る」
「「Yeah!!」」
(笑)
「ここ最高」
「分かる」
 
 
年齢はひと回りくらい離れてるし、ガラケー全盛期だった自分の学生時代とは文化も環境も全然違うはずなのに、
 
こうして、本当に好きなものだからこそ、一緒に共有できる。
 
年代も、性別も、境遇も生きてきた景色も違う、たくさんの人たちの心を揺らして、たくさんのワクワクを届けて。
 
アイマスってすごいなぁと、改めて思いました。
 
 
 
 
 
 
〇DAY1 公演
 
 
舞浜アンフィシアター。中に入ってみるとステージの近さに驚きました。
 
私の席は23列と一番後ろから一つ前の列だったのですが、それでも、今まで参加したどのライブよりも近くに感じました。
 
公演開始前の各シリーズのPVが終わり、毎度恒例の協賛企業のコール。
暗転。サイリウムの海。
 
いよいよだ…こっちも緊張してきます。
 
 
ステージに前方に穴が開き、イルミネの三人が上がってきます。
続いて、アンティーカ、放課後クライマックスガールズ、アルストロメリア
 
ここですでに緊張感と高揚感は最高潮。
 
 
そこでそのままSpread the Wings!! を歌ったのか、前に挨拶MCがあったのか、正直記憶が残っていません。(おい)
 
ただ、ステージに並ぶ演者さんたち16人を見たとき、真っ先に出てきた感想は、「すごい…!」(語彙力)
 
ユニットそれぞれの個性豊かな衣装、ゲームの中で見てきたアイドルたちがそこにいて。283プロの16人がいまそこに目の前に並んでいて。信じられないような、奇跡に思えるようなそんな「すごい」です。(伝われ)
 
 
トップバッターは、イルミネーションスターズ 
「ヒカリのdestination 続いて、「虹になれ」
 
 
3人とも笑顔で、キラキラで、でも緊張感も伝わってきて。
 
イルミネの3人には、12月のお渡しイベントで間近でお会いしていたこともあって、だから、余計に身近に感じてしまって、ずっと頑張れって祈りながらコールしてました。
 
たとえ間違えたって大丈夫だから安心して歌ってほしい。少しでも楽しい!と感じてほしい。頑張れ、届けって想いを込めて叫んでいました。
 
虹になれの、2番サビ後のめぐるパート。
 
「願い、祈り、あの空へー!」
 
私の大好きなパートです。峯田茉優さんの明るくて力強いロングトーンがホールいっぱいに響き渡って、じんと来ました。
 
パフォーマンス後のMCも、噛めば噛むほど味が出る本ダシのようないつものイルミネでした。
 
 
 
 
そのあとに続くのは、アンティー
ステージの雰囲気ががらっと変わり、曲はバベルシティ・グレイス幻惑SILHOUETTE
 
クール、といっても青色じゃなくて、どこか現実離れしたような美しさとカッコよさがあって。激しい曲調に合わせて、ダンスの振りにもキレがあって、これが本当にかっこよくて、個々のもってる歌唱力の高さが端々に感じられました。
 
そんな中、霧子役の結奈美月さんのソロパートで、歌声が聞こえない箇所がありました。
イルミネの歌の時も、少しマイクの具合が悪いのかなという部分がありましたが、このバベルシティ・グレイスでは、声が小さくて拾っていないというより、まったく歌声が聞こえなかったので、マイク等の機器トラブルのように思われました。
 
 
しかも、ソロパートなので、あれおかしいぞと、誰でも気づく違和感。
 
 
トラブル。想定外。
 
 
この時の気持ち、私だけじゃなくて、多分周りのプロデューサーさんたちもみんな同じ気持ちだったんじゃないかと思います。
 
大丈夫!頑張れ!
頑張れ、届け…!
 
今までのライブとはちょっと違う想い。
 
今までに参加したミリオン4thや5thは、想像以上のパフォーマンスにただ圧倒される感じで、例えば、そこに不安とか心配っていう気持ちはほとんどなく、ある意味で、そのアイドルたちのショーを楽しみにして参加している気持ちが強かったです。
 
まぁいま考えれば、そのパフォーマンスを当たり前と思ってしまう自分も、それに応えるどころかさらに超えてくる演者さんたちのポテンシャルがすごすぎるんですが。
 
 
 
 
対して、今回のシャニマス1stライブ。
 
1stライブだからこその空気感。
何というか、私は今日ここに「完成されたライブを楽しむため」に来てるんじゃない。
 
いや、もちろん楽しみに来てるのは当たり前なんですけど!そうじゃなくて、
 
 
 
「観客」とか「お客さん」っていう感覚じゃなくて
 
まるで子供の発表会を見に来ているような、
まさに、自分たちのアイドルが頑張っている姿を、これまで頑張ってきた成果を
 
いやもっと具体的に、不安や緊張を一緒に感じながら、より自分事として、大丈夫!頑張れ!って声を届けるために。
 
だから、見てるこっちも緊張するし、もしも何かあったって、仮に演奏が途切れたって、きっと私含めあの会場のみんなはペンライトを振り続けるつもりだっただろうし、エールを送り続けたと思います。
 
この、「観客」じゃなくて、アイドルを見守るような感覚。
まさに「プロデューサー」として参加したライブ
 
ライブ3回目にして体感した新しいアイマスの熱さでした。
 
 
 
 
結果としては、明らかに音声が途切れたのは1番だけで、あとは素晴らしいパフォーマンスでした。
 
カッコよくて美しい。引き込まれるようなアンティーカの世界観。
ステージが終わりMCになれば、公式4コマを見ているようなゆるさ全開で。これもまさにアンティーカでした。
 
そのあと、全方面イケメン光線を撃ちまくる咲耶さんだったり、パリッとした餃子だったり、超ぜいたくな283プロ全員の生朗読劇があって。
 
あー、良いものを堪能したと余韻に浸る間もなく、間髪入れずに始まったのは、
 
 
 
放課後クライマックスガールズのステージでした。
 
夢咲きAfter school そして、太陽キッス
 
 
改めて、このユニットコンセプト、天才かよって思いました。
 
アイドルが見る人に元気を与える存在であるなら、まさに放クラは最強無敵のアイドルです。
 
 
不安感とか、緊張感とか、演者さんたちだって絶対に感じているはずなのに、
それを察することさえ忘れさせられてしまう、圧倒的エネルギー&パワー。
 
ステージが、会場が、元気!と楽しい!で満ち溢れる、圧巻のパフォーマンスでした。
 
あと、戦隊ヒーローみたいなあのカラフルな衣装、ほんと可愛いよね。
その、キラキラとか、美しさとか、そういうのとは違った、ある意味飾りっ気のない、ド直球全力全開スーパーパワー。
 
「希望ばっかり膨らむ今が好き」って歌詞にあるみたいに、
 
学生時代の、怖いもの知らずで勢いに溢れてる感じが伝わってきて、ある意味で、放クラは1stライブにして、すでにアイドルとして一つの完成形に達しているとさえ感じました。
 
果穂ちゃんの、ひよりさんの太陽みたいな「なんばーわん!」が聞けて本当によかった。
 
 
 
そして、最後を飾るのは幸福論誕生アルストロメリア
曲は、もう何度聞いたか分からない、アルストロメリアハピリリ
 
 
まずもってほんとに可愛い。
可愛いがすぎる。可愛いの大洪水。可愛いの二重らせん構造(意味不明)
 
衣装、振り付け。とても可愛い。窒息しそう。
 
アルストロメリアもハピリリも、私もしょっちゅう車の中で歌ってるので(おい)知ってるんですが、実はどちらの曲も歌うのがとても難しいんですよ。テンポとか、音移動とか。
 
それをあんなに動きながら歌えるってやっぱすごいって思いました。
 

ていうか難しいこと置いといて幸福論が咲き乱れてましたね。

ステージの照明と相まって本当に綺麗でした。

 
 
あと、ほら、
 
甜花ちゃん役の前川涼子さんのね、CDよりもちょっと力の入った歌声がね、「甜花、いっしょうけんめい、頑張るね…!」感が伝わってきて本当に最高だったんですよ。
 
芝崎典子さんのあの柔らかな微笑み何なんですか。千雪さんじゃないですか。勘弁してください惚れてしまいます。
 
そして、黒木ほの香さん、なんすかあれ。完全に甘奈じゃないですか。
本当は緊張してるけど絶対裏でめっちゃ努力しててリーダーとして引っ張るぞって頑張ってるのにその頑張りを見せずに笑顔で明るくを貫く甘奈が私には確かにそこに見えました(ここまで一息)
 
 
 
 
前半は割と私もずっと緊張していて、実にプロデューサー視点のライブだった(キリッ)とか言っといてあれですが、後半はなんかもう自然とアイドルたちに魅了されてしまって。
 
本番前の朗読劇からのSNOW FLAKES MEMORIESも、Let's get a chanceも。
これまで他ユニットとの絡みがあまり多くなかった283プロの繋がりが感じられて。
 
朗読劇の言葉を借りれば、「緊張しているのは一生懸命な証拠」
すごく素敵なセリフだなって思いました。
 
 
アンコール後の全員衣装も。今までになかった曲調のクールなイントロの新曲も。
 
シャニマスのこれからに期待が膨らんで。
何より今日、その始まりに立ち会えたことが本当に幸せで
 
 
 
 
イルミネはキラキラで眩しくて、アンティーカはかっこよくて色っぽくて、放クラは仲良しで元気いっぱいで、アルストは可愛くて幸せで。
 
ユニットの色はそれぞれ全然違うのに、でも集まったら一つになってよりいっそうに輝いて。
 
 
 
今日、この場所にいられてよかった。
最高のはじまりの思い出をありがとう。
 
 
心からそう思えるステージがここに確かにありました。
 
 
 

【ブログ終了】どうぞ、お気軽にコメントください。

 
 
 

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ということで、Yahoo!ブログが今年限りでサービスを終了するそうです。


大学3年生の春、整理しきれなかった心のうちを整理するためにと始めたこのブログですが、まさかこんなに長く続くとは思ってみませんでした。

遺書の代わりに書いていたものが、いつの間にやらテーマは自分の趣味へと移り変わり、最近ではもっぱら歌の話ばかり。意外と生きてきたなぁって思います。


振り返ってみれば、一番最初に書いた記事の投稿日時は、2010年4月16日

約9年前です。
よくもまぁ、飽きもせず続けてこられたもんだと、我ながら感心します。
 
 

そんなこのブログも今年の12月で消えてなくなるそうです。


他社ブログへの引っ越しツールの提供とかいろいろあるみたいですが、正直言ってまだ何も決めていません。

過去の記事もまとめて他のブログへ引っ越して残すか、それともそのままこのまま記憶にだけ残してお別れするか。どうしようかなぁとのんびりと考え中です。
 
 
引っ越しは不明ですが、少なくともサービス終了まではこのブログも残しておくつもりです。




だから、ひとつだけお願いをします。

広いインターネットの海の中で、このブログにたどり着いてくれた方がどれだけいて、そして、こんな乏しい語彙力で書き連ねた記事を読んでくださった方がどれだけいるのか。

正直言って全然わかりません。


Yahoo!ブログにはアクセス解析という機能が付いています。
その日訪れた人の数や、アクセスのあった記事くらいは分かるようになっています。

が、

アクセスは確かにあったとして、果たしてその読んでくれた人にちゃんと有益な情報を示せたのか何か心に残るものはあったのか、そもそも本当に読んでもらえたのか、というかそのアクセスは"ひと"だったのか。(ただの巡回プログラムなのではないかという疑念)

正直さっぱり全然、分かりません。




なのでよろしければ、是非、コメントをください。(率直)


読んで何か感じていただけたなら、何か良くも悪くも思っていただけたなら、

そして、コメントを打ち込み送信ボタンを押す労力をかけるだけの何かが、こんなブログにあったなら、

是非、コメントをください。
 

このブログは、今年の12月で消滅します。
仮に記事を他社ブログへ引っ越したとしても、コメントは引き継げないそうです。

つまり、このブログのコメントは、どうあがいても今年の12月で消滅するそうです。


ですのでどうぞ、安心して、コメントご送信ください。(しつこい




新しい記事だけじゃなくて、古い記事でも構いません。

例えばパワポケへの造詣の深さなら有識者を名乗れると自負していますし、くる来るクルくるぅに関してはいまだに世界ランク1位の称号を自称しています。


「あああ」とかうんこ」でも構いません。
 
「うんこ」「うんこ?」「うんこー!!」

私、最近思ったんですが、うんこって実はすごく大事なんですよ。

先々週、わたし生まれて初めて救急車で運ばれたんですが、寒気やら吐き気やら腹痛やら、本当に踏んだり蹴ったりで、それらの症状がようやく治まったと思ったら、今度はお通じがなくなってしまって。痛くて苦しくてすごくしんどかったです。

だから、食べたら出るってことがどれだけ幸せなことなのか、改めて実感しました。ありがとうんこ。






(まとめ)
 
サービス終了するまでの間ではありますが、どうぞお気軽にコメントください。

 
(追記)コメント機能が使えるのは9月1日までで、それ以降はコメント出来なくなるそうです。

 
(再追記)記事の投稿や編集ができるのもの9月1日までだそうです。
 
 

おうたのれんしゅう(H31.2.11)

 
 
最近の気付きや課題まとめ

【注意:歌が上手くなりたい素人が書いた素人の記述です。専門書や専門家が書いた記事の方を信じてください。】



〇響きのある声
 これは一番最初の体験レッスンで一番最初に言われたことで、最近特に実感している部分で、いま最も意識しているところ。
 ちなみに、最初のレッスンでは、試しに一曲歌ったあと、君の歌声は作った感じの声だよね。せっかく良い低音の響きを持ってるのにもったいない。作った声だと絶対に聴き手に伝わらない。こどもの歌声が音を外していても、リズムがめちゃくちゃでも心に届くのは、作ってない声だからだよなどと言われて。んんーそんな観念的なこと言われてもなぁと、分かったような分からないような感じで、でもその翌日、車の中で歌ってみたら、この指摘は確かに核心をついているんじゃないかという感覚があって、今は確信に近い手ごたえがあって。

 声質というか、ただ音程だけが合ってるような、いわゆる「つまらない声」から、聴いた瞬間、お?って思ってもらえるような「魅力的な声」にするために必要不可欠なアプローチ。

 響きのある声。専門的には「倍音」、メインの音程以外にそれより下の音がたくさん混ざって鳴っている状態の音、をいうとのこと。生半可な知識で誤解を生みたくないので詳細は省略。


ポイントは、この声は『喉が脱力した状態で鳴る』ということ。

喉の脱力なんて、「カラオケ 高音」とかで検索すると何万件ってそれっぽいボイトレサイトがヒットしてくるくらいよく見かけるキーワードだけど、本当にここにヒントがあって。

私も、それまであんまり聴いたことのなかったアーティスト、特に世間で評価されている男性歌手のCDもいろいろ借りてきて聴いてみました。

秦基博、ゆず、米津玄師、星野源RADWIMPSコブクロ、amazarashi…と

特に、米津玄師さんの曲は、今ものすごい人気があるってことは知っていたけどほんとに一回も聞いたことがなくて、紅白で初めてその歌声を聴いて、この人は本物だーって感動して、即Lemonを購入したという経過もあったり。


とりあえず共通して言えることは、音の響きです。特にAメロとかの低音域
作らない声ってこういうことなんだろうなーって。

喉の力みをとるって、高音を出したい!ってアプローチを求めてる最中によく目にするキーワードですが、高音よりもむしろ低音域で顕著だったのが個人的な大きな気付き。


低音がかっこいい。かっこいい低音って?
 
まず気付いたのは、低音域の歌声で、声に合わせてびりびりした音が一緒に鳴ってるってこと。エッジ音というか。これ、自分でもやってみると分かるんですけど、脱力した状態じゃないと鳴らない音なんですよね。


分かりやすいなって思ったのが秦基博さん。秦基博さんはむしろ中高音域の脱力感がものすごい。
米津玄師さんも分かりやすい。あの低音域の歌声の心地よさは異常。
あと、つい先日初めて聞いたばかりですが、amazarashiの秋田ひろむさんの歌声も低音でめちゃしっかり喉が鳴っててとても印象的な歌声。
 

作った声じゃない歌声。その人の声で歌うから、音が響き、歌詞が届いてくる。
最初のレッスンで先生が言っていたのは、おそらくこういうことなのだろうと、今は結構納得しています。

歌う時の技術的な意識としては、以下の2点。

・喉に(余計な)力を入れないこと。
・一番響く場所に息を当てること。


低音域では少しずつできるようになってきたけど、まだいつでもできるわけじゃなく、コントロールは全然未完成。この脱力した発声が全音域でできりゃいいのだろうけど、おそらく高音域では少なからず力は入るものなので、全音域は多分むり。



一番直近で録った歌声
 ※素人ボイス注意

 低音の響き云々以上に、いちいち呼吸がうるさい。
 まだちゃんと呼吸の方法が無意識化出来てないんだろうな
 
 
 

 こっちの方が、低音びりびり感は分かりやすいかな。
 サビは歌ってる最中に歩いてる方と目が合って気まずい感じなったのでカットしてます。(
 

 当面の目標は、一曲通してこの発声の仕方を維持できるようになることと、なるべく高い音までこの音の響きを維持できるようにすること。そのためには、より精度の高いブレスコントロールとさらなる脱力トレーニングが必要。





〇リズム感
 簡単に言うと、声なんて十人十色、どんな声を好きと思うかは人それぞれ、最終的には「個性」だから正解なんてないけど、リズムは「定義」だよねって話です。上で散々述べてきた声質とか響きとか全否定。(おい

 でもこれも、私も確かになぁって納得している部分で、 
 どういうことかというと、前に書いた記事のとおりなんですけど
 
 例えば、どんな音色か、どんな音程かの答えは無数にあるけど、リズムの答えは一つしかないってことです。

 っていうと絶対に語弊がありますけど、音程って要素がなくても音楽は成立するっていうことは、前の記事でも書いたとおりで、


 例えば、世界に一つだけの花って歌の

 「花屋の店先にならんだ」の歌詞を「花屋の店先で見つけた」と歌ったとしても、初見の人はああそういう歌なんだなと違和感なく思うし、
 音程を「ならんだ↑」じゃなくて「ならんだ↓」と歌ってもドレミを外してなければ、やっぱりああそういう歌なんだなって思う。
 
 だけど、リズムはわずかにほんのコンマ秒ズレただけで、初見の人でも子供でさえも「ん?」「あれ?」って違和感を感じてしまう。

 ということだそうです。(伝聞調)

 いやいや、それ言うたら、音程が微妙にフラットしたりしても違和感あるやんとか、リズムだって拍から外してなければ答えは幾つもあるやんとか、そうなんですけど!

 ここで言いたいのは、人間は「言葉」よりも「音程」よりも「リズム」にとてつもなく敏感だ、ということなのだそうです。(伝聞調)

 そもそも私たちが当たり前に使っているドレミだって、いくつもある音律の一種類にすぎず、言語の多様性については言わずもがな。

 なのに、音楽経験とか有無にかかわらず、リズムのズレには高確率で反応できてしまう。


 
 共通言語などなく、まだピタゴラス音律さえ生まれる紀元前、言葉を持たなかった我々の祖先ホモサピエンスの時代から、石を叩いて草を吹き、狩りの成功に声を上げて踊り舞ってきたように、いつの時代も音楽は私たちと共にあった。

 そんな古代から続くメッセージとでもいうのだろうか。

(あさっての方向への問いかけ)
(唐突に終わる記事)
 

リズム感という課題(H31.1.3)

 


いま自覚している歌の課題は、

力まない発声、声の響きの維持、腹式呼吸、ブレスの固定、表裏の切り替え、ゴシック体発声イメージ、活舌の改善

…とまぁ全部かよってほどたくさんあるのですが、その中でも特に最重要課題だと感じているのが「リズム」です。




■リズム感

リズム感といってもいろいろあると思いますが、今一番足りていないと感じるのが「演奏に合わせて歌う技術

・・・って書くと我ながらカラオケの初歩の初歩ですけど、本当に今一番レベルアップしなくちゃいけないって思うのがここです。

実はずっと前からうすうす感じていた部分です。
 

一年前はまだ明確な課題としてはつかめていませんでしたが、一番の原因は「リズム」です。

長年の音痴を何とかしたいという想いが、音程のズレばかりに意識を向かわせていて気づけなかったリズムという要素。

例えば、車の中で何の演奏もなしで歌うのと、カラオケで伴奏に合わせて歌うのと比べると、圧倒的に、演奏なしの方が気持ちよく歌えます。


過去の記事にも書きましたが、私はそもそも歌うことが嫌いで、カラオケなんてなくなればいいのにと思っていたほど、歌うことを避けてきました。

社会人2年目の時点で、ようやくカラオケ経験回数は3回くらいでした。

歌上手くなりたいと思ってからはカラオケにも行くようにはなりましたが、それでも私の歌の練習場所の95%は車の中でした。

車の中で、原曲の歌声に合わせて、音程をずらさないように繰り返し練習する。それを5年間続けてきました。

これの何が問題なのか。
ポイントは「歌声に合わせて」というところです。

つまり、私はずっと、「演奏」ではなく「歌声」に合わせて歌う練習しかしていなかったわけです。

そりゃ、カラオケでいきなりoffヴォーカルの演奏に合わせて歌えんわ。
「演奏に合わせて歌う」経験がほとんどないんだもの…。


演奏に合わせて歌うというのは、楽器作り(ボイトレ)か演奏練習(ボーカルトレ)かといえば明らかに後者です。歌唱技術。

一方、去年1年、特に注力してきた音程トレーニングや声作りはまさに前者のボイストレーニング。楽器としての身体作り。

そりゃリズム感はレベル1のままだわ…。


極論な話、声なんて十人十色、高音が出ないならキーを下げればいいし、歌詞がなくたって曲になる。
太鼓やドラム、指で机をたたく音、音階なんてなくたって音楽はできる。

歌唱技術として何よりも優先すべきは、リズムでした。
 

多分、この「リズム感」も音程感と同じで、耳から入ってくるリズムを正しく聞き取れるか(入力)と、出したいリズムで声を発せられるか(出力)と、大きく2段階の力が必要になってくると思います。

そして今の私にどちらが足りていないかといえば、おそらく両方です。(おい)

入力側、聴き取る方は、今まで意識はしていなかったとはいえ、さすがに5年間も歌ってきたのだから、まったくのレベル0ってことはないとは思います。
それでも全然足りてはいないと思います。

圧倒的に不足しているのは出力する方、演奏に合わせて狙ったタイミングで発声する技術。原因は前述のとおり。


聴き取るのは、例えば一曲に集中すれば、比較的短期間でも習得できるかもしれませんが、発声する方はきっと違う。

「発声」という運動を起こさないといけないわけで、筋肉、神経、脳の働きやなんやかんや。スポーツと同じでこれはきっと反復練習をするしかない部分です。

以前、スポーツインストラクターの方とお話する機会があり、ちょうど興味のある分野だったので訊ねてみたところ、一般に随意的な運動を無意識に行えるようになるまでは最低でも3か月はかかるとのことでした。

狙ったタイミングで発声する、という今までやってこなかった筋肉の動かし方を何回も繰り返して、関連する神経系や脳機関を活性化させるところから始める必要があるので、まぁすぐには無理です。


なので、ここは、音程のときと同じく、気長にやってみようと思います。