A. 楽しいのが一番だから
自殺しそうな人を助ける仕事がしたい!
と語る友人と立ち話をしていたら、いつの間にか2時間近く経ってしまいましたとさ☆
自分はどちらかと言えば、「自殺は絶対によくない!」とは否定できない人間ですが、自殺が一般に肯定されるような社会がよろしくないものであるということは断言できます。
子どもからの素朴な問いかけ。
あるいは、偉そうな大人たちを困らせたい年頃の中学生の問いかけ。
「どうして人を殺してはいけないの?」
「どうして自殺してはいけないの?」
なんて答えりゃいいんだよ…と昔は考えてたけどまぁ簡単なことだ。
常に周囲を警戒し、蛇口から出る水に毒が入っていないか確認し、後ろから刺されないように意識を集中させ、爆弾が仕掛けられていないか注意を張り巡らせ、自分を狙った銃口がないかびくびくしながらぐっすり眠れない生活だったら、疲れるから。つまらないから。めんどうくさいから。楽しくないから。
悲しかったら自殺し、苦しかったら自殺し、責任から逃れるために自殺してもう嫌だと思ったら自殺する。そして誰もそれを咎めない世界、だったら今の生活は出来ない。成り立たない。困る。だから。
多分それだけでいいんだ。
自由に自殺したり人を殺したりするような世界は、疲れるし楽しくないだろ?
それで十分な気がする。
自殺に対して、「馬鹿だなぁ」「なんでそんなことするんだろ」「頭おかしいんじゃないの」と言う人々 はきっと必要だ。
もし、誰もが自殺者の気持ちを理解できてしまいそれが一般の多勢となってしまった世界なら、それはより間違いや偏見の少ない世界ではあるが、活力や勢いを失った世界だろう。
自殺が理解できない人が多々いる世界にあって自殺者を理解し助けようとする人もいる世界は、誤解も埋まることない溝もある、活力も非道も悲しみも喜びもある世界。
「いじめはよくない!戦争はよくないよ!」 という小学生。
「いじめも戦争もはなくならないさ。人間はもともとそういう生き物なんだよ」 と悟った風の中学生。
「いじめを無くそうとしたり、戦争の悲しさを訴えるのだって人間らしさの一部だろ」 と俯瞰する高校生。
「どっちも自然なことなんだよ。憎むのも慈しむのも、そしてこんなことで議論してしまうのもまた人間らしさ、なのさ」 とまとめに入る大学生。
母「どっちでもいいから早く降りてらっしゃい!ご飯が冷めちゃうでしょ!!!」
きっと全部、必要だ。